
昼間何でもなかった通りに灯りが灯ると、また別の世界が拡がってみえたりすることがあるだろう。踏み入れたことのない店にふといざなわれたり、みすぼらしい軒にほっと灯る玄関灯に、言いようのない安らぎを感じたりすることもある筈だ。
梅雨前のこのわずかな緑匂う季節、暮れどきは空気も何故かみずみずしい気がする。そして都会の真ん中でも、まだひっそりとしたなつかしい闇を残す一角があり、過去の幻影のようなそんな箇所に出会うと、心にあたたかい水のようなものが満ちてくる。
遠くはない日に一瞬にして失くなってしまうであろう建物たち、否もしかしたら今見ているのは遠い昔の幻なのかもしれないけれど、私はいつまでもその姿を心にしまい、いつか自分の四角い画面の中に、はかなくうつくしく描きあげるだけだ。
≪この記事へのコメント≫
>蛍をあんなに実際に目の当たりにできるなんて素敵ですね。私はほとんど見たことがありませんから。。。
闇の中の光は、自然であれ人工のものであれ惹かれます。風の吹く日なんて、ネオンも遠目には揺れて見えたりしますから。
闇の中の光は、自然であれ人工のものであれ惹かれます。風の吹く日なんて、ネオンも遠目には揺れて見えたりしますから。
>こんばんは。
是非是非いらっしゃいませ。此処は現実から非現実への入り口です。そしていつでも扉を開けておりますよ。たどり着けるかどうかは、たぶんお気持次第。目を瞑って入ってみれば、ほらもう。・・・な~んて。。。
是非是非いらっしゃいませ。此処は現実から非現実への入り口です。そしていつでも扉を開けておりますよ。たどり着けるかどうかは、たぶんお気持次第。目を瞑って入ってみれば、ほらもう。・・・な~んて。。。
このような場所に誘われたい、そんな気がします。
最近は、蛍通いが続いています。
蛍の光ばかり見ているからでしょうか。
こんな感じの街があったら、光に誘われて、そのまま入ってしまいそうです。
最近は、蛍通いが続いています。
蛍の光ばかり見ているからでしょうか。
こんな感じの街があったら、光に誘われて、そのまま入ってしまいそうです。
まちをあてどなく歩き続け、日が暮れ、そして目の前にこんな幻想的な佇まいの建物が現れたなら、どこまでも誘われるようにふらふらと追ってしまいそうです。でも、どこまで追っても辿りつくことが決してできない、そんな雰囲気を漂わせているように感じます。
>どうもありがとうございます。
大正・・・たった15年の時代ですが、覗いてみたい時代ですねぇ。(あ、震災は厭だけど)浪漫の香り馥郁といったところを想像してしまいます。
荷風先生の足跡を訪ねてみるのはほんと~に面白いですね。東京雑派は大変わくわくしながら拝見できる数少ないブログのひとつですよ。これからも私の行けない分、がしがし廻って下さいませ。その根底にあるものは、きっと何処かでわずかなりともつながっているのではと、僭越ながら。。。
え、そして谷中の大円寺?それは知りませんでした。う~ん先生ご近所にも。。。
大正・・・たった15年の時代ですが、覗いてみたい時代ですねぇ。(あ、震災は厭だけど)浪漫の香り馥郁といったところを想像してしまいます。
荷風先生の足跡を訪ねてみるのはほんと~に面白いですね。東京雑派は大変わくわくしながら拝見できる数少ないブログのひとつですよ。これからも私の行けない分、がしがし廻って下さいませ。その根底にあるものは、きっと何処かでわずかなりともつながっているのではと、僭越ながら。。。
え、そして谷中の大円寺?それは知りませんでした。う~ん先生ご近所にも。。。
ああ、これは「昭和」どころか、「大正」の香りすら漂わせていますね。
大正時代なんて、自分のおやすらまだ生まれてもないのに、なぜか懐かしさを感じさせる一枚です。
荷風先生は、隅田川に架かる橋が木造から鉄橋に架け替えられてしまったことを嘆き、私らは、その鉄橋のクリームがかった色合いや太い鋲に何とも言われぬ味わいを感じてしまう。
懐かしむ対象は異なるのに、懐旧の情であることに違いはありません。
どことも知れぬ夜の一角、これもまた郷愁を誘いますね。
話は変わりますが先日、谷中の大円寺で荷風先生の碑に遭遇しました。3大美人の1人だった「お仙」をしのんだ碑です。
大正時代なんて、自分のおやすらまだ生まれてもないのに、なぜか懐かしさを感じさせる一枚です。
荷風先生は、隅田川に架かる橋が木造から鉄橋に架け替えられてしまったことを嘆き、私らは、その鉄橋のクリームがかった色合いや太い鋲に何とも言われぬ味わいを感じてしまう。
懐かしむ対象は異なるのに、懐旧の情であることに違いはありません。
どことも知れぬ夜の一角、これもまた郷愁を誘いますね。
話は変わりますが先日、谷中の大円寺で荷風先生の碑に遭遇しました。3大美人の1人だった「お仙」をしのんだ碑です。
>どうもありがとうございます。
よかった~、ひとりでもそういうふうに仰有って下さるかたがいると、引っ張り出してきた甲斐があります。まあ難点は沢山ありますが。
このシリーズは「硝子細工のよう」に見えると言われたりします。
よかった~、ひとりでもそういうふうに仰有って下さるかたがいると、引っ張り出してきた甲斐があります。まあ難点は沢山ありますが。
このシリーズは「硝子細工のよう」に見えると言われたりします。
なんとも幻想的です いくら観ていても見飽きない絵です 絵ではなく現実に在るように見えて来るのが不思議です。
>コメントありがとうございます。
そうですね~遊野さんも夕暮れ時をお描きになるのがメインテーマとおっしゃっておいででしたね。今回の大作もほんとにそういう感じでした。あの微妙な、昼と夜とのあわいは好いですよね~。
暗くなるとneonとしては灯りがつく頃合いというのは、どきどきするほど好きなのです。
でもあまりにもどぎついのは敬遠しますけど。。。
画のなかでは、廃墟のような淋しい建物に灯りをつけてやって描くことが多いですね。この画もそんな感じで描いた過去の埋もれた作品です。ちょっと線が多すぎますがね。。。
そうですね~遊野さんも夕暮れ時をお描きになるのがメインテーマとおっしゃっておいででしたね。今回の大作もほんとにそういう感じでした。あの微妙な、昼と夜とのあわいは好いですよね~。
暗くなるとneonとしては灯りがつく頃合いというのは、どきどきするほど好きなのです。
でもあまりにもどぎついのは敬遠しますけど。。。
画のなかでは、廃墟のような淋しい建物に灯りをつけてやって描くことが多いですね。この画もそんな感じで描いた過去の埋もれた作品です。ちょっと線が多すぎますがね。。。
一日が終わろうと黄昏時が一番心惹かれます。私は特に大作は
その夕暮れ時をテーマとしてここ数年描き続けています。
何もかもあからさまに見える昼間様に明るくも無く
全ての色をうばってしまう夜ほど暗くはない
そんな夕暮れ時
ひょっとするとそこは
未来と過去につながるタイムトンネルかもしれない。
街角の近代建築のビアホールその扉を開けるとそこは大正時代
モボとモガの社交場
そんな幻想をいだきながら歩く夕方の街角が好きです。
その夕暮れ時をテーマとしてここ数年描き続けています。
何もかもあからさまに見える昼間様に明るくも無く
全ての色をうばってしまう夜ほど暗くはない
そんな夕暮れ時
ひょっとするとそこは
未来と過去につながるタイムトンネルかもしれない。
街角の近代建築のビアホールその扉を開けるとそこは大正時代
モボとモガの社交場
そんな幻想をいだきながら歩く夕方の街角が好きです。
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