
うらうらと陽の照り返す季節になると、浮き立つ気持ちと裏腹に翳りの濃い裏町に潜んで行きたい気持ちにもなるのは何故だろう。
すっかり忘れていた詩人の言葉が断片的に想い出されると、あかるくつるつるした、だが何処かそらごとのような街にはくるりと背を向けて、時代錯誤のようななつかしい細道の奥の、しっとり湿った翳りの中に身を置きたい気持ちに駆られる。
葉桜の透明感あふれる緑、それらを愛しながらもその無傷のさまに痛々しさを感ずるのだ。
・・・こんなふうに書くと、何だか精神を病んでいるように見えるだろうか?
しかし裏町の散歩者なら、どこかに僅かでも潜んでいる想いではなかろうか?
・・・まあ他人の事は解らないが、
少なくとも私は多分、やっぱりずっとそういうものを意識し続けるだろう。
そしていつか、私というかたちもなくなって、しっとり湿ったあの翳りの中に帰っていくのかもしれないと思う。

何度もそこへ立ち返って、自分の心根、或いは創作の在処を探す、
そんな風景があるとしたら、ワタシは何と言ってもこの朽ち果てゆく川沿いの風景を挙げるだろう。
鶴見川に沿った生麦の川縁。もうほとんど海岸といっていい場所だが、
ここに嘗てボロボロのバラック街があったことは何度かこのブログにも書いた。
二十世紀末までこの風景は残っていたが、今は綺麗サッパリ護岸工事が行われ、
こんな風景は幻の光景と化している。
この、湿った、朽ち果てようとする風景をありありと想い出し、
画面に描こうとするとき、
<まとまろうとするな、安定するな、安定する構図のために線を描き足すな>
と或る人に言われたことを想い出す。
そして時々、自分をそうやって揺さぶることにしている。
このうらぶれた風景が、
今尚、多くのことをワタシに向かって語ってくれるのだ。

横浜の元町は、ワタシの生まれ在所の本牧から近かったせいもあって、小さい頃から随分歩いていた筈なのに、華やかな店や通りにしか目が行かなかったから、こんな一画があると知ったのは昨年のことだった。
元町の大通りのすぐ裏側で、今まで何故気が付かなかったかと不思議なくらいだ。だが表側は普通の商店で、ここはその裏側なのだが、昭和なたたずまいというよりも、アジアの何処ぞの裏通りのような雰囲気だった。
生まれ育った町というのは、身近すぎて気が付かないものも多いし、写真を撮ったり画に描いたりすることも無いことのほうが多いものだ。だから時にはよそ者の目で郷里の町を歩くのも悪くないし、また永井荷風のような富貴閑人が歩いて記録に留めてくれるのは、そこに住む人たちにとっては馬鹿馬鹿しくても、貴重な記録になったりする・・・ことを思うと、有り難いものだとも思ってしまうのである。

ワタシがコドモだった昭和四十年代には、まだ戦後の闇市の末裔のようなバラック商店がところどころにあり、そんな店がいくつか集まったものに「マーケット」という名前が付けられていたようにも思う。そこは暗くて裸電球がいくつも点いて、どの店も釣り銭は上から吊した小汚い笊のなかにじゃらりっと入っていた。「はい、お釣り」と言って渡してくれる店のおっちゃんの手も、皮が厚くて黒かった。でもそこへよく母と買い物に行ったものだ。マーケットの隣には狭い「靴病院」があって、靴直しの職人のおっちゃんが、これも汚れた灰色の作業服を着てうずたかく積まれた靴のなかに座り、次々に靴底を直していたのもよく覚えている。
あの頃はみんな、今みたいに小綺麗でもなく、衛生的でも明るくもなかった。でも店の人びとの顔や仕草を今でも鮮明に思い出せるのは何故だろう。いつも行くと決まった顔があり、「お使いかい?」とか「今日は何にする?」とか何か会話があり、その人たちの仕事ぶりや客のさばき方などを見るいっときがあったせいかもしれない。
描いたアーケードの商店街は二箇所をモデルにしてみたのだが、どちらも寂れた屋根の一部が剥がれ、そこから昼間の光が漏れていた。昭和の香りが芬々と漂って、幼かった頃の記憶を喚起してくれるには、充分すぎるたたずまいだった。

喫茶ルナは見たときには既に廃業していた。
嘗ては花街として賑わったらしいが現在はひっそり閑としている、中野区のとある裏通り。ごみごみと何軒か、営業しているのかあやしいスナックが建て並んでいる一角に、挟まれるように小さな紅い看板があった。何の変哲もない、ご近所喫茶といった感じだが、撮った写真のたたずまいには、何だか不思議に惹かれるものがあったのだ。
ルナという名前も、luna,lunaticという言葉のイメージを喚起させるからちょっと好きだ。画では珍しく<Luna>と入れてみたが、本当は何処にでもあるゴシック体の片仮名で、<喫茶ルナ>とあっただけ。
もうすでにこの建物はなくなってしまったかもしれない。
夕方から少しは華やいだであろうこの一角で、開店前のご近所スナックのママさん達に、にナポリタンや野菜サンドを銀のお盆ごと出前していたような、そんな喫茶店であったろう、な。

向島界隈の旧町名が残っている地図を見ると、鳩の町のやや南に「向島請地町(うけちちょう)」という一角があり、その地名が気になっていた。もしかして「身請」から来ているのか?などと思ったりしていたのだが、地元の方にきいてもはて・・・とめぼしい解答は無かった。
家にある荷風の著作を読み返し、そして古本の木村荘八(墨東綺譚の挿画を描いた画家)著、「女性三代」という随筆を読み返していたら、その答えが出ていたのである。
それによると「請地」とは「浮地」のことで、つまりは埋め立て地という意味合いなのだそうだ。特にこの玉ノ井辺りもやはりその「浮地」であり、塵芥の上に無秩序に家を建てたらしい。その地盤の悪さは言うに及ばず、墨東綺譚に出てくるあの溝川はすぐ水が溢れてしまうのだった。墨東綺譚本文にも、「ここはもともと埋地で、碌に地揚げもしないんだから」と、お雪の抱え主が語る場面が出てくる。
今現在はそうした土地の持つ翳りや無気味さは殆ど感じられない町と化してはいるが、やはり歩けばその路地の複雑さには迷ってしまう。そして知らぬ間に、余り陽の当たらぬ細い地べたの道や、昭和の匂いのする平屋の家並みの前に出たり、装飾のある窓ガラスに出会ったりするのである。

<墨東篇>引き続き。
いやはや吃驚したのである。
白鬚神社の裏手に、こんなアパートが2棟毅然と建っていたのを見たときは。。。
かなり大きな建物で、もとはこの周辺に6棟ものアパートがどうやらあったらしい。現在残る2棟のまわりは駐車場で、すっかり見晴らしがきくせいもあり、辺りを睥睨するような圧倒的な存在感を放っていた。
グレーのモルタル壁は染みだらけだが、階段の造作も面白く、またかなり住んで居られる気配もあって、現役アパートとして堂々生き残っているのだ。近くにある銭湯の煙突から煙が出始めると、もう昭和の匂いが芬々としてくる。でもこの煙突、実はちょっと先っぽが何故か曲がっているのだ。画ではまっすぐにしておいたのだが、実物を見ると何だかくすっと笑いを誘う、下町の好い風景なのである。

陋巷画日記、<墨東篇>連続でいきます。
十代の頃から永井荷風の「墨東綺譚(正しくはボクの字はさんずいが付く)」が好きだった、カワリモノの私であるが、前回の鳩の町のように纏綿と花街の情緒の遺る雰囲気だけが墨東の魅力であるとは、到底言えない風景に今回も幾度も出くわした。
そのひとつが今回の町工場の風景だ。
鳩の町から玉ノ井に向かう頃になったら陽ざしがすっかり翳り、辺りは暗くなる一方。墨田のたぬき湯という銭湯を目指していたら、この工場が忽と薄暗がりに現れた。
かたちは非常にシンプルで、全面トタンの継ぎ接ぎ(ほぼ8割はブルー)。そしてところどころひび割れた窓ガラス。そこからは中の電球の光も漏れる。そしてその屋根の頂には、何とも力強い太い煙突が。思わず言葉をなくすほど心打たれてしまった。
このあたりには中小の工場がひしめき、寡黙な職人たちが暗い中で黙々と働く姿が垣間見える。そうした姿は何故かとても力強いのだ。声なき労働歌を聴く想いがする。
そんな骨太の叙情を、この町は低音で奏で続けている。

久々に陋巷画日記。
タテモノのカタチ展が終わって、秋日和の日に町歩きに出た。浅草神谷バーを始点に、目指したのは久しぶりの墨東。(同好の士とツアー詳細はこちら参照。)余りにオキマリぽいのでずっとご無沙汰だった鳩の街と玉ノ井周辺を徘徊。
ほとんど無いことも覚悟していたからか、思ったよりまだ建物も痺れるものがちらちらと遺っており、改めて墨東の深さを思い知る。寂れてひっそりしているが、建物の意匠の繊細さや、アールのついたバルコニーのやさしさに、小さな宝石のようなきらめきを感じてしまう。すれちがった品のよい、腰の曲がったおばあちゃんが「賑やかだったですよ、とても」。。。
歩きまわった時間も長かったせいか、メモリーの容量いっぱいになるまで写真を撮ってしまい、その中からどれを先ず描くかと迷いに迷ったが、やはり一番陋巷チックな、タイル円柱のあるこの路地を描いてみた。

陋巷画日記・8.
嘗て描いた景色、建物に今一度出会うのは不思議な感覚である。
2003年の個展の時に出品した「春の雪」という作品は、東日暮里のとある往来を描いたものだったが、先頃そのモチーフにした場所を通りがかったら、変わらずにそこがそのまま現れたので、寧ろびっくりしたのである。
此処は陋巷という言葉そのもののような、御覧のようなたたずまいで、そのすがれぶりはちょっと暗然としないでもないが、やはり未だこんな闇を孕んだ部分を抱いているのは、この町の懐の深さ故ではないか。
赤錆びた物干しが何とも言えずくすんだ紅い屋根とあいまって、いつ無くなっても不思議はないこの陋巷に、また暫し感慨を覚えたのである。

陋巷画日記・6回目、月島です。
先頃四方田犬彦著「月島物語ふたたび」(工作舎)が出、早速時間を見つけて読んでいるのだが、とても興味深い。文章も落ち着いていて好きだが、下町というものに対する捉え方が共感できる。92年に出版されたものの復刊であるが、新しく対談や書き下ろしエッセイも加わって、厚みのあるものになっている。
それでというわけではないが、この月島を久しぶりに描いてみた。
何処へ行ってももんじゃ看板が乱立している月島だが、一歩はいったこの画の辺りは陋巷の雰囲気が蔓延している。元はごみごみと立て込んでいたと思われるが、一部駐車場になってしまったため、逆に建物の裏側がそっくり並んで見えており、余計に「観光地月島」とは別の顔が眺められるのだ。
で、タイトルも「裏月島」としてみた。