
シンプルな色や形。
そんなものへの憧れがいつも画を描くときにあるのだが、実際描こうとすると色々な要素を入れたくなってしまう。
見たままの素描の積み重ねはとても大事だと思うのだが、そこから自分としてはもう一歩オリジナルな表現を試みたい。だが対象の建築物の存在感や素材感、辺りの空気感、そうしたリアルさを失っては画が訴えて来なくなる。どこまでどういうふうに引き算していくかが、いつも自分にとっての課題だ。
今日の画は川っぷちのボロ錆トタンバラックをモチーフにしたのだが、この建物はアイデアラフ描きを試しながら、どうしてもちょっとモダンな感じにしてみたくなった。形がシンプルでとても好かったので、ボロ錆の感じを出しながらも伊達男な仕上がりにしてやりたくなったのだ。
色数も抑えつつエッジはぴしっと。
そんな感じに描き上げてみたのだが、どうだろう、やさぐれてはいるが一本芯の通った奴になったであろうか。
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以前「陋巷画日記」のカテゴリーでアップした「喫茶ルナ」の線画を、麻紙ボードに彩色画として描いてみた。かたちが好きだったので、当初から色を付けた画稿としてみたかったのである。
とはいえ、色数は少なく、ルナの看板のところだけぽっちり赤い、あとはグレーを基調にしたものに仕上げるというイメージも珍しく最初から出来ていた。そういう場合は最も暗い色(黒)の配置に気を配る。それがどこに来るかによって、画面の締まり方が違ってくるように私には思われる。
他の人は知らないが、私のバアイ、一番最初に自分のイメージした色を塗ってみて、そこからまた違う色を重ねてゆくのだが、建物自体もそうであるように、最初はおそらく竣工当時?の、汚れのない新品ピカピカの画になっている。そしてそこから主にパステルで、少しずつ風化の汚れや染み、隙間などを描いてゆく。あたかも本当の建物がそうなってゆくように。
パステルで画が濁ってくると、またアクリル絵の具を重ねて濁りを取る。
エッジがぼやけると、9Hの鉛筆で描き起こす。
それを繰り返して最後に、ミリペンの極細で電線などの最も細い決め線?を描く。
そんなふうに描いているのだが、これは全く私の独りよがりな、誰に教わったのでもない描き方なのだ。ここに辿り着くまで長い時間があったが、しかしまだまだここから変わってゆくとも思う。

穏やかな年明けとなりました。
皆様にとって良き一年となりますようお祈り申し上げます。
また、今後とも拙ブログをどうぞよろしくお願い申し上げます。
さて、新年初の画、新作アップです。
昨年の季節の好いときに、麻布の笄(こうがい)町を訪ねました。麻布というイメージからかけ離れた、古い家屋が建て込んだ一角があり、細い路地の先にこんな風景に出くわしたのです。
何軒かの長屋がぐるっと囲んだなかに、狭いながらも物干しのある小庭のような空間がぽっかりとあり、穏やかに日が当たっていました。洗濯物がひらひらとそよいで、それは閑かで眩しいような空間でした。
太宰治の「津軽」という小説に、私(太宰)が育ての親のような乳母、たけに会いに行くシーンがあります。それは津軽の小さな町でちょうど町内運動会のような催しがあった日で、とても好い場面なのですが、一方で日本が戦争に突入してゆく時期で、そんなさなかに日本の片田舎のこの町では、そんなことも無関係のように華やかな素朴な行事が行われている・・・と、太宰がふと白昼夢のような想いにかられるのです。
笄町で出会ったこの風景に、私もふとそのシーンを想い出したのです。
そして、大袈裟ではあるけれど、人の世の幸福の姿とは、こんなものではないかとも思えるのです。市井の人びとの小さな平和。それがどこの国どこの町でも守られる一年であるようにと思うのです。

漸くひとつ、画本用の画を描き上げました。
以前予告?していた「燃えるようにあかい、錆色の家」の画です。
だいたい、当初イメージしていた感じに描けたように思います。
今現在もこの家の在った場所は更地のままですが、こうしてワタシの中で再構築された小さな家は、小さな画面のなかにずっと遺り続けるのです。
「ミニアチュール画本 画稿」というカテゴリーを設けてみました。
これからここに、その原画を貯めていくことにします。原画はA4より少し小さめの、F3というサイズです。これだと家のスキャナーにはいるので、画像処理がしやすいのです。ですが、ちゃんと額に入れて飾ってもいいように、一枚の画としても成り立つものに仕上げています。数が貯まってくるとちょっと愉しいかもしれません。本にすることを一応念頭に入れていますので、画像にも著作権マークを入れておきました(笑)。
苦手なタイトル付けも、今回はわりとすぐ決まりました。
当初は「赤錆の家」だったのですが、アカサビという響きがちょっと可哀想な気もしたし、ワタシにとっては本当にルビーのような素敵な紅色に思われたので。。。画自体も、小さいのですが愛おしさで一杯になるような、小さなちいさな宝石のかけらようなものにしたいと・・・、そんなふうに願っています。
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