
今年、2007年も余すところわずかとなりました。
皆様には本当に色々お世話になりまして、心より御礼申し上げます。
このブログにも書きましたように、今年は実家の両親が相次いで癌のため他界しました。
一言では言えないような様々な医療の問題、その方法の選択、介護の問題、そしてその他付随する多くの雑事にまみれ、そのために費やした時間の多さを改めて思い返します。
そして、人間はひとりで生まれひとりで逝くのだ、ということも改めて思います。
ちちははを見送って、(実際の年齢にかかわらず、)やっと自分の折り返し地点に立ったような気もしています。
皆様へのお年賀状はそういうわけで欠礼させていただきますが、ブログでは新たな気持ちで年頭にはご挨拶したいと思っております。
来る年は、皆様にとっても私自身にとっても、
何かひとつかがやきの増す年となりますよう。
どうぞよいお年をお迎え下さい。

11月に玉ノ井を久しぶりに歩いた時感じたのは、何度行ってもこの辺りは本当に「ラビリンス(迷宮)」であり、すぐ迷ってしまう町だということだった。幾つか訪ねたい建物、現存するか確かめたい建物があって、うろうろしながら探すのだが、あれっと思うと先ほどと同じ路に出たりしてしまう。微妙にくねくねと曲がった細い路が多いせいもあるのだが。
それで、これは再訪する時用に、自分の覚え書き程度にでも地図をつくっておこうという気になった。
地図と言っても「極私的」なものである。
玉ノ井と言えば荷風の「墨東綺譚」なのだが、荷風の書いた戦前の玉ノ井と、戦後の玉ノ井特飲街は場所がややずれているのである。荷風が『断腸亭日乗』に自ら描いた玉ノ井周辺の地図があるが、それをまず参照し、次に現在の墨田区の住宅地図をトレースして重ねるように検証していった。現在玉ノ井を訪ねると、僅かにカフェー風の建築が残っているが、その場所は戦後玉ノ井のほうであり、荷風の時代の地域には、もうそれらしいものはほぼ残っていない。ここにあったのではという推測の域でしかないが、荷風が細かく書き入れていた目印の店なども記してみた。また、11月現在で確認できた建物の幾つかも記しておいた。
ただ、この私の地図に記された事項は、現在個人の住宅になっているものが多い。それでこのブログ上では、明確に読み取れる形にはしないでおいた。悪しからずご了承下さい。何人か同好の士にはこっそりお渡ししましたが、もしどうしても詳細を見たいという奇特な方、おられましたらこっそりと(笑)ご相談に応じます。

展示が近づいてきたこともあり、ブログのほうはちょっと間隔があくかもしれませんが、ぼちぼちと更新していきますのでよろしくお願いします。
今日は久しぶりの線画(というよりもう、ほとんど覚え描きに近い)。
南千住のオンボロハウス。でもこれが可愛いのです。
色を付けていないのでナンですが、向かって右半分がきれいなブルートタン。左側はベージュのモルタルで、味のある染みも出てます。まあありきたりの普通の造りですが、真ん中のエビ茶の樋もアクセントになって、やっぱりワタシは立ち止まってしまうのです。
10/3追記*
谷根千地区の下記のお店に、「タテモノのカタチ」展DMを置いて戴きました。ありがとうございます。
*往来堂書店
*nido(ステンドガラス工房+shop)
*Cafe NOMAD
*プフレーゲライヒト(道具・雑貨)

3月末日、第5回アースダイビング大会に私めも参加させて頂きました。善福寺川周辺は満開の桜に覆われ、まことに美しい眺めだったのですが、ひねくれ者の眼はどうしても違うほうに向いてしまうのです、業といいますか性(さが)と言いますか、今回中でも出色だったのが今日のこのトタン系の建物です。やはり何人かカワリモノの御方はおいでだったようで、実際の建物はこちらで御覧下さい。4/3追:こちらでも御覧になれます!
N的に崩しますとこんな画になります。
ご案内、ご同行の皆様、本当にありがとうございました。
是非次回は最後まで全うしたいと思っております。
追記 <展示のお知らせ>明日4/3より千駄木のギャラリーSD602 KINGYOにて「まちの木霊」展が始まります。
こちらのブログで予告いたしました「くすんだ町角」「バルーン日和」に加えて「看板一杯商店」の3点を展示しております。
私は最終日8日(日)は午後在廊予定です。

幻となった仕事の「飾り枠のデザイン」その2です。
花街の名前を囲む筈だったこれらの枠。
花街の建物は和風から洋風、また和洋折衷など、様々な意匠を凝らしたものがあり、それらに深く惹かれていた私は、飾り枠にもそうしたものを反映したいと思ったのでした。
どこか「夢」のようなものを湛えている建物たち、
そして或る意味「夢」の場所だった町の記憶。
そしてそれを画のどこかに偲ばせたいと思っているのです。

お知らせしている「近代建築 街角の造形デザイン」の展示に、曙ハウスの画とともに、その間取り図を展示したいという話が当初からあった。本当は模型も・・・ということも話題にのぼったのだが、何せ消えてしまった建物。図面を持っている人もいないし、住人の方も散りぢりだし、建物に入ったことのある人でも、なかなか部屋の間取りなどというものは、覚えていないものである。
それで、主に写真から、そのだいたいの図面を起こしてみることになった。

普段町歩きを独りでしているときは、土地の高低差などまったく念頭に置いていないのであるが、昨日行われた「第四回アースダイビング」では、初めてそれを意識して歩くこととなった。
王子のあたりもゆっくり歩くのは初めてだ。石神井川の現在までの成り立ちに諸説あるなどとは知らなかったし、今は暗渠となっている箇所を辿っていくというのも、いちいち感心するばかり。今後は多少なりともこうした意識を持って、未知・既知の町を歩いてみようと啓発されました。
半日歩いたなかで、私がとても気になった建物が今日の画。
暗渠となった音無川に落ち込む斜面部分に沿って、三階建ての住宅が並んでいる処があり、何となく築地などの旧水辺バラックを彷彿とさせる趣だったのだ。建物はそう古くもないようだったが、隣接する家との間の斜面に、吃驚するほどほそーいコンクリ階段が造られていた。人がやっとひとり通れる狭さだが、日常生活にはなくてはならないものなのだろう。(画は実際の建物をだいぶ換骨奪胎しております、毎度ですが。)
最後になりましたが、入念な下準備とご案内をして下さったiGaさん、masaさん、そして最後の素敵な打ち上げ場所の「とも」(墨田区向島4-23-1、tel.03-3624-9078)を手配して下さったLOVE GARDENのcenさんyukiりんさん、参加なされた皆様、愉しい一日をありがとうございました。
[ほそーい階段] 2006 14×12cm
きなりの紙にミリペン、鉛筆、サインペン

秋口に、高梨豊さんの「初國」という写真展を見に行った帰りにこのアパートに出くわした。つめたい秋雨があがった後で、アスファストがまだ独特の匂いを放っている暗い日だったが、都心の真ん中のビル街を近くに見ながら、この一角は一層湿気を保っているようだった。付近を歩いてみれば、何だか古い町名の表札や、がたぴしのアパートがかなりあって驚かされる。
そのなかでも、この一軒は特にどうという特徴のあるものではなかったが、真横から見ると窓や庇、階段の組み合わせも面白く、臭突が真ん中で建物を統括しているかのよう。そして何より全面グレーのモルタルなのだが、雨後の染みなのか長年の風化なのか、濃淡の意図せざる滲みが壁全体にできている。それがどうにも好いのだった。
肩肘張ってばかりいないで、滲んでよ、たまには。
[グレーのアパート] 2006 12×18cm
きなりの紙にミリペン、筆ペン、色鉛筆

鶴見の続編です。
オラガビールに行く途中の目を惹いた建物、美好食堂。2階は棟続きなのに1階は三店舗が並んでいて、横にも階段屋根が斜めにくっつき、面白い建物だった。2階の木造の造りも好かったし。
と、のんびりアップを考えていたら、GG-1さんのほうに早速アップされていましたので、スケッチ崩れではありますが、同時に見る方が一興かと思いこちらも出させていただきました~。
[美好食堂] 2006 15×20cm クロッキー帳に鉛筆

夏に取材した色々なバラックの写真を見ながら、(写真は下手だが)様々にかたちをつくってみるのが愉しい。特に集合バラックとも言うべき長屋群の、アーティスティックな思惑など全く無い(筈の)塊は、本当に魅力的だ。色も素材も形も、必要だからそうなったという「必然」の存在感。そしてだんだん見ていると、ユーモアやウィットや諧謔味まで感じられてくる。
モノクロの、ちょっと遊びのある線だけでかたちを描いて、そこに黒とグレーだけで、シンプルに味付け。動かない建物たちだけれど、何だかリズムのようなものを感じる。ジンタのリズムが合うように思うのですが、如何。
[Barracks] 10×14cm 2006
画用紙にミリペン、筆ペン、色鉛筆

たまに根津と根岸を間違える人がいるが、今日の画は台東区根岸にあったアパート「鶯荘」。名の通り鶯谷の駅に近いところに嘗て在った建物である。冨田均の「東京私生活」(作品社、2000年刊)には91年当時のアプローチの写真が出ており、私は94年に偶々出くわし、外見は相当に傷んで汚れも酷かったが、看過できない存在感があった。
まず玄関アプローチと2階の屋根のの庇部分が、アールのついた美しいデザインで、入るとソテツの茂った中庭まであり、昭和の初期のモダンでハイカラな雰囲気が感じられる。階段の途中には丸窓があり、廊下も広く、かなりしっかりした造りだったのを記憶している。
だが昨年訪ねてみた時には、やはり既にマンションが聳え、跡形もなくなっていた。
「根岸の里の侘び住まい」と言って、江戸の昔はは隠居所などが多かったという根岸の町。どんなにか寂れた、しかし閑静な雰囲気の処だったのだろう。金杉通りや柳通りに、微かにその面影を辿るしかないが、やはり時々ふらりと行ってみたくなる町でもある。
[鶯荘] 14×18cm 2006
麻紙ボードにミリペン、画墨