
町工場のラフ・アイデア・スケッチ、性懲りもなく続き。
というか、ますますハマってくる感じ。
そして、まだまだ制作まではがっつりこの作業を繰り返します。
毎日本当に、もっともっと時間が欲しい。。。
今回の画も勿論ラフですが、これの前にもう一段階あって、
少し形を整理したものが、これ。
あと5段階くらい整理(シンプライズ、と言うか)しないと駄目かも(笑)。。。
でも、非常に素敵なフォルムを持ったモチーフだったので、
素敵に描きたい。
ワタシの描きたいのは労働歌ではないし、工場萌えのような流行りモンでもないし
リアルでもなく時代でもない。
じゃあ何だ。・・・とコトバで表現できないものを
今日もまた画面に描こうとするわけですね。

来年の個展では、町工場やそれに類するものを描きたいと思っているのだが、過去に町歩きをして写した写真をピックアップしていったら、かなりの数になってちょっと自分でも驚いた。
しかし、やはり現場で得る感動をまだまだ欲するわけで、時間の余裕のある時は、なるべく出かけていって取材してきたいと思っている。
というわけで、雨の予報が外れた先日、大田区のMという地域を訪ねてみた。
ここは嘗ては鉱泉などがあり、ちょっとした保養地とそれに付随して色っぽい地域もあったそうだが、今は全くその名残はなく、寧ろ中小の町工場の集まっている町としての色あいが強い。
歩き始めて(いやバスの車窓から見えた風景がすでに・・・)すぐに自分の描きたい匂いを持っている町だと感じる。そして右へ行っても左へ行っても、現れる町工場の魅力的なこと。実用という名において出来上がっている建物の無駄のない簡潔な形、素材。そして、小ぶりで地味ながら確固とした存在感。これが、曇り日の空によく似合う。
金型を作る工場が多く、この町も不況の風に晒されて厳しいことこの上ない様子は、歩いていてもそのすがれた町の雰囲気からどうしても感じられるのであるが、機械よりも正確だという旋盤の技術を持つ職人たちも多く、日本の工業を地道に支えてきたこれらの町に、心からの敬意を捧げたくなる。
描いてみたラフ画は、煙突やダクトの形状が印象的な、とある塗装工場。
このままの形では制作しないと思うが、じっくり錬り上げて作品にしてみたいものだ。

私の故郷である横浜の、Y駅のすぐ脇に小さな鉄工所があった。
ほぼ毎日のようにそこを通っていたからその光景は余りに普通で、長いこと、通り過ぎる月並みな風景にしか過ぎなかった。ちょうど鉄道が通るトンネルの脇にあり、その鉄工所敷地内に入らんばかりの横の細道を通ると、少し早道になる。ちょうどトンネルをまたいで坂道を上って行った先に、私の実家があったのだ。
故郷を離れて何年もして、ふとその光景を想い出すことがあった。
いつも赤錆色の鉄柱や鉄板が沢山置かれて、何かしらを加工する大きい音がしていた。
工員も5~6人はいたような気がする。
どうなっているだろうか。
写真を撮っておこうと思いながら、やっと撮れたのはそれから随分経ってからだ。
建物は辛うじて残っていたが、既に廃業したらしくすべて戸は閉じられて、敷地内には鉄板の一枚も無く
ひっそり閑として眠るかのようだった。
閉め切られた錆トタン板が紅くて美しかった。
その後また何年も此処を訪れていないが、おそらくもう既に無くなっているだろう。
故あって故郷を失ってしまったとも言える自分には、この鉄工所の写真は一種の形見のようでもある。
それを何とか、また一味違った感覚で画面の中に昇華してみたいと考えている。

来年の展示に向けて。
まだまだ未熟な段階ですが、こういうものを沢山作り置いて、
その中から択んで行き、また形を錬りながら本制作に進みます。
第一段階の、アイデア・スケッチとでも言いましょうか。
クロッキー帳には何でも描き入れて、思いついたことなども
覚書のように記しておきます。
(でないとすぐ忘れる。。)
この建物、都内の中小の町工場の多い地味な一角に、忽然と現れました。
K鉄工所、現役の工場。
屋根の中央に突き出しているトタンの・・・あまりにチャーミングな突出物は
謎っぽく、またこれこそファンタジーというたたずまいで、
見た時は顔が緩みぱなしに。。
絶対に描きたいと思いながら、でもどう描くかなぁと考えつつ・・・
線描きをしながらその魅力的な形をなぞるうち、
頭の片隅からジンタの音楽が聞こえてくるような気がしました。
調子っぱずれの笛、太鼓、ラッパの楽隊。
そうだ・・・ジンタなんだこれは。
で、祝祭気分な紙吹雪を散らすのはどうだ?
と遊んでみる。
・・・楽しい。やっぱり描く者の楽しさが伝わらなくては。
ということで、下描きだけでも楽しいK鉄工所。
本制作はまだまだ先になりますが、多分。

もう20年以上も昔になるが、一度だけ場末のスナックに入ったことがある。
その頃日本画を習っていて、新年会か何かの帰りに、先生含めて弟子10人弱で、スナックに行こうということになった。私はまだはたちそこそこだったので、よほど帰ろうかと思ったのだが、「まあたまには社会勉強だから」とか何とか周囲に言われて連れて行かされたのだった。
それまで先生に関しては、謹厳実直な方で、お酒は好きでおられるがそんな場末の飲み屋へ出かけるような感じには見受けなかったので、私はちょっとびっくりしたのだった。お世辞にも綺麗とは言えない桜木町のどこかの路地に入って何軒か行ったところに、先生行きつけのちっぽけなスナックがあったのである。皆でわいわい入ると、ママさんは手慣れた感じに「アラ先生いらっしゃーい」。
他の人たちも勝手知ったる様子でカラオケに興じたり飲み始めたり。酒と煙草の入り混じった匂い。歓声や嬌声。その頃はまだ若かった私は、大して飲めなかったし、初めて見るこうした光景にただ呆然としていた記憶がある。
そのうち先生はマイクを握ると大きな声で歌い始めた。それは流行歌などではなく、黒田節。
先生はいつもお酒が入ると黒田節なのよ、と古株の弟子の方が私に耳打ちする。終わるとわーっと拍手。
満面の笑顔でママさんの祝福を受ける先生。・・・
それから暫く経って、とある知人にその話をして、「何であんなお店に行って飲んだりするんでしょうね。先生の奥さんのほうがよっぽど美人なのに・・・」と言うと一笑に付されて、「そういうモンダイじゃないんだよ」と言われた。そうなのかー。オトナの世界は解らないな~とその頃は思っていた。
あれから随分の年月が流れて、先生はもう既に鬼籍に入り、あの小汚い店も無くなったかもしれないが、充分「オトナ」と言える年齢になってしまった今、そういう小汚い店のある町を描いている自分がいる。あれ以来スナックには入ったことは無いけれど、たまに場末の閑とした町で、ぽつりと灯の点っているいる店を見たりすると、ちょっと扉を開けてみたいような気にならなくもない・・・こともある。

桜が満開になり、空気もあたたかく、空も青く澄んでいるのに、こうも続く余震に
心の晴れない時間が繰り返される。
目に見えないものがこの穏やかな空間にじわじわと侵食してくる、嫌な感触。
しかしそれでも毎日を生きなければならないし、ひとたび何かあれば、まだ成人していない
子供たちを命懸けで守ってやらねばならない。
そういう緊張感が常にある。
確かに疲れる。
疲れるがその現実を受け止めなければならないし、
その上でそれに押し潰されたり振り回されたりしないで、
正しい情報を選びとって、何をしなくてはならないのかを考えて行動する。
・・・できているのか?・・・いや・・・。。。
今秋の個展のタイトルは、随分と考えていたが、
「幻燈街」として、陋巷のバーやスナックなどの名も無い(いや店名はある)
建物街を描くことにしている。
そのためのラフ描きをクロッキー帳に幾つもいくつも描いてみている。
描きたい建物は沢山ありすぎるが、その中からどれが形になるか。
与えられた時間はいったいどれ程なのか、もうよく解らないけれど、
とにかく描ける間は、心を注ぎ込んでひとつひとつ、描いてゆきたい。

試作品03で描いている建物を、抽象味を濃くして線だけで描いてみたり、
そんなこともしている。
同じ建物だとは、言われなければちょっと判らないでしょう。
先日来、昭和初期のTという画家の作品が心に引っかかっていて、絵筆が止まっている。
色々な先達の作品を見ていると、時々自分に足りないものが痛烈に感じられることがある。
自分に足りないものに気づかされる、それは
とても重要な過程であろうと思う。
ああもっとこうしたい、こうするためにはどうしたらいいか、
そういう課題がどんどん出てくる。。。
Tは不遇な画家であるが、画からはそんな感じは全くと言っていいほど感じられず、
非常に<自在>なのだ、モチーフも表現も。
才能と言ってしまえばそれまでだが、何とか彼の画からも、
自分の描く上でのヒントやきっかけを学びたいと切望している毎日。