N的画譚

N町在住、陋巷の名も無き建築物を描くneonによる、日日の作画帖です。
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傾いた小屋












更新が遅れがちですが、もう少ししたらペースアップできるよう
只今準備中?です。

そう言っているうちにだいぶ暖かくなりました。

京浜bayの続きはまたいずれ出しますが、
今日は先月のスケッチブックからのラフです。
傾いた小屋。下は水に漬かっています。鶴見川沿い。
こんなぼろぼろの船小屋が、10年前くらいには連なっていたのですが
もうきれいさっぱり無くなってしまいました。

無くなって初めて、顕ちあらわれるものがあると
常々思っています。
ここ数年でも急激に過去の遺物的な建物などが無くなっていっていますが、
無くなったらお終い、ではないのだと。
幻視と言ったら格好良すぎるのかもしれませんが、
そんな世界は在ると思うし、
それを描きたいと思うのです。
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岸辺の夢













たゆとう、真昼の岸辺は
対岸の煙突の煙もゆっくりたなびいて
閑かで、時間の流れさえ
夢みるようにまどろんでいる
かのようだ。
ケイヒンの匂い












この辺りに来るといつも思うのは
私の知っている、いや沁みついているかつてのあの匂いがあるということだ。

トウキョウでもヨコハマでもない、ケイヒン(京浜)の匂い。
お洒落さやそぞろ歩きやドリーミィな装飾、
そんな上っ面なものの一切無い、
剥き出しで無口で だが何故かがむしゃらな力強さのある、
感傷よりもずっと頑固な郷愁の塊がいつも私を迎えてくれるのだった。

そして運河から遥かに海を臨む時、
高く低く飛び交って啼く鷗のように、
刹那自在なものを掴めるような心地になるのだった。

夜間制作
IMG_6953 (2)












・・・などとタイトルを付けましたが、
単に夜に撮った写真であって、夜間にはあまり画を長い時間描くということはありません。

電灯の下で描くと、どうしても色が日中と違って見えてしまう。
描きづらいです。
やはり昼間、特に午前中の光が一番好い気がします。

だから夜はなるべく色を使う作業ではなく、
下塗りや線描き、アイデアスケッチなどをするようにしています。

とはいえ、朝が早めなので、夜も遅くまでやっていると身体が持たないので
ほんの少しの時間だけなのですがね。
いや、三十代の頃はコドモを寝かして10時くらいから描いていましたね。
・・・今はもうそれはできなくなりました(笑)。
たとえば、坂口安吾













・・・問題は、汝の書こうとしたことが、真に必要なことであるか、ということだ。
汝の命と引き換えにしても、それを表現せずにはやみがたいところの汝みずからの
宝石であるか、どうか、ということだ。そうして、それが、その要求に応じて、汝
の独自なる手により、不要なる物を取り去り、真に適切に表現されているか、どう
かということだ。
 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


         ------- 坂口安吾「日本文化私観」より抜粋


  

   *本文と画は余り関係はアリマセン(笑)。
たとえば、萩原朔太郎











散歩者のうろうろと歩いてゐる
十八世紀頃の物さびしい裏街の通りがあるではないか
青や緑や赤やの旗がびらびらして
むかしの出窓に鉄葉(ぶりき)の帽子が飾つてある。
どうしてこんな情感のふかい市街があるのだらう
日時計の時刻はとまり
どこに買い物をする店や市場もありはしない。
古い砲弾の砕片(かけ)などが掘り出されて
それが要塞区域の砂の中でまっくろに錆ついてゐたではないか
どうすれば好いのか知らない
かうして人間どもの生活する 荒寥の地方ばかりを歩いてゐよう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


          -------- 萩原朔太郎 「荒寥地方」より抜粋



 (本文と画はあまり関係はアリマセン)。。。
ぼろぼろ海岸












繰り返しくりかえし私の中に想起される風景というものが幾つかあって、
H町の遊廓街やこの侘しい海際の景色がそれなのであった。

此処は本当は河口で海とは言い難いのであるが、
京浜の湾を見て育った私にとってはほぼ海のイメージはこれなのであった。

嘗ては漁業も営まれた小さな岸には
捨てられた貝殻が真っ白に砂を埋めて、その上に辛うじて立っているような
船着き場や半分水に漬かったトタンの船小屋が累々と並んでいた。

今はすっかり整備されてあのぼろぼろの風景は
無かったことのようにかき消されてしまったが、
私には忘れようとしても忘れられない景色なのだった。

萩原朔太郎の「荒寥地方」「沿海地方」といった詩が浮かぶような
すがれた、小汚い、場末の芬々たる眺めであったがいつもそれらは
私の傷みを吸いとって、孤独を脆弱なものから磨きだし、描くことによって
遠い空の彼方に解放してくれるような気さえしていたのだった。
幻風景の再構築











ひと月以上、もやもやと考えてばかりいて、
画の向かう方向をあれこれと逡巡していたが漸く
自分のなかでハッキリしたタイトルも決まり
来年はここ数年とはまた少し違ったアプローチで
個展を纏めてみようかと
やっと思い至った。

そして嘗ての写真をまた掘り起こし
失われていった風景たちを再構築しながら
何処かで見たようで
でも何処にもない自分の風景を
作り上げていきたいと思っている。
巷の路地裏










巷の路地裏の一角。

ひとけは少ないが人の棲む気配は濃くて
色々な匂いが混ざりあって
いつも湿ったつちが見えて
磨り減った段々を上って振り返れば
軒の低い屋根が連なり合い
煙突やら何やらが その上に沢山
突っ立って居るのが見えるのだ。
閑寂なとき












部屋の片づけをしていてつい捲った文庫本の
尾崎放哉の句集に、引き込まれてなかなか止められなくなる。

口語自由律の句をよくした彼の、
世捨て人の屈折と、諦めと、でもその中にある
閑寂な趣、ユーモア・・・
そんな響きが今の自分にとても心地良いのかもしれない。

時計がなりやむ遠くの時計がなり出す

くるわの中の赤いポストの昼である

・・・・・・・・・・

画像は、地方の小さな町の
閑寂な(笑)廃れスナック。

Barber I













まだ12月にもなっていないのに、華やかな街なかを通ると聞こえてくるのは
気の早いクリスマスソングだ。それを聞く度に私などは心浮き立つよりも
何故か切なくなってしまう。そして、街が華やかであればあるほど
疎外感のようなものを何処かに遠く近く感じて、目を伏せる。
つまらない感傷であるとも思う。

自分は街育ちであるから、街が好きなのだが、どこか浮足立っている街は
淋しいものに映る。そして、喧騒を離れて 時代錯誤な商店や
一日中洗濯物のぶら下がっている日陰の裏路地の静かな空間にはいると
漸く自分の心の居場所を見つけたように、ほっと安堵する。
可笑しな感情であるとも思う。

画像は、すでに無くなってしまったとある床屋。
古びてオンボロだったが素晴らしい建築だった。今は新しく店舗を建て替えて
御商売は継続して居られる。
小さな駅のすぐ脇にあって、今でも閑かなたたずまいを残している。

Blue Barber
blue barber003













来年の個展の大体の骨子は頭の中だけでゆっくり固まりつつありますが、
ブログで本画を出すようになるのは年を越してからかもしれません。
それまではまだ形や色をじっくり練りたいと思っています。

此処に出すのはその中途の描き捨てラフですので、
どうぞそのおつもりで。
ああまた練習曲だな、という感じでお願いします。
来年へ












個展が終わったら毎日眠くて仕方なかった。
展示の間は無駄に緊張しているらしく、毎日早くに目が覚めてしまい
一日の段取りを考え始めると眠れなくなる。
それでも何とか体調を崩さず終えることができた。
心の何処かが緩んだら、途端に眠くなった。

漸く色々な展示後の雑事も終わり、今回を振り返りながら
また来年の展示について考えを少しずつ集中させてゆく。

来年のテーマについて、ここ数年は展示が終わるか終らないうちに
次のテーマがはっきり決まっていたのに、今年はそれが無かった。
意欲が減退したのかと少し心配になっていたのだが、
ふと浮かんだ或る言葉がきっかけとなって、そうだそんな感じで行こうと
漸く気持が纏まりつつある。

その言葉はまだ内緒だが(笑)、来年は「アパート」「町工場」などという
建物呼称カテゴリから離れて、やや曖昧な、
しかし興味を惹かれるような括り方をしてみたいと思っている。

そして今年よりももっと自在に、自分の表現世界を拡げていけるように・・・
またこつこつと地味ながら、制作を始めて行きます。

(画像は久しぶりのとあるラフ。)
海沿いの工場













今回は正方形の画のラフです。

タイトルは多分変更すると思いますので・・・仮です。

450×450mmの板に、これから下塗りして描き始める段取りです。



陰鬱だけれど仄明るんだ空、
黒っぽい無機的な工場、
そして濃紺の海と海鳥、

感傷と、逆にそれを律するモダンな処理について
どう折り合いをつけるかが課題です。
並んだ工場 ラフ












クロッキー帳に描きためているラフ画、
またその中から。

本制作するには、まだもうひとつ練り方が足りないですねー。

夏の展示には、やや抽象度を上げた作品を出したいなと思っているのですが、
うまく行けばの話です。
スプリング工場 ラフ
shouwa spring009












大変粗雑なラフ画ですが、アップします。

このモチーフになった工場は、どうやらもう無くなってしまったようです。

何の変哲もない、灰色の建物でしたが、
そのいかにもな飾り気の無さが魅力でした。

ワタシの画ではneonticに仕上げております(次回へ)。
このくらい大胆に
simple kouba008 (2)













このくらい大胆に、シンプライズされた形を作ることに、かなり快感を覚えるが
あとは制作する時の絵肌の作り方如何にかかってくるなぁ。

線はなるべく少なくして、でもしっかりと魅力ある線で
それでいかに リアルではない形の建物のリアル感(笑)を出せるか、
いつもながら難しいところだが、挑んでいく甲斐はあるだろう。
矢折れ、力尽き果てるまでやって、しかしその先に何か光が見えて来る・・・
と好いのだが。
ヤスリ工場













都内のO区まで行く時間があまりとれず、しかし少しなら・・・ということで、ここのところあまり遠くないA区に出かけている。最寄りの駅からそう遠くない所に小さな町工場が集まっている地域があるのだ。

ごみごみと立て込んだ住宅地のなかにちらほらと、らしきものが散見する。
トタンの屋根や壁は目印だ。
それで、ふと気付く。今迄随分歩いてきた町々の、魅力的なトタン物件というものは、住宅もあったが実は町工場であったものがかなりの数に上るのだ。・・・今になって合点がいく。

A区のとある地区には、そうした平屋トタンの工場が多い。そして、そう言うのは躊躇われるが、うらぶれた雰囲気である。このラフ画の一角もそうで、画的には魅力的だが、よく見ないと判らないような板きれに「××ヤスリ」とマジックで書いてあり、ああ工場なのだと思うと同時に、言い知れぬ哀しみと憤りのような感情さえ湧いて来る。こういう所でかくも地味に、埃まみれになって仕事している(いた)人々の暮らしとは、一体何であろうかと。

その一方で、先日はとても心温まる出会いなどもあったのだけれど、それはまたいずれ。


廃工場の感アリ













クロッキー帳を一冊描きつぶし、ほんの少しずつだが
かたちを捉えて自分のものとして昇華していく作業にとっかかりが見えてきているような。
このまま加速していけると好いのだが。
ただ、作品(或いは商品として提示でき得るもの)として成立するまでには
まだまだ様々なせめぎ合いを解決しないと・・・。

今回のラフは、建物としては一見現役に見えるのだが、よくよく見ると
配管が途切れていたり傾いていたり、傷みや損傷があって
また周囲の雑然とした状況などからして、どうも機能していないような工場。

閑寂とした晴天の中で、放置されたような時間ばかりが流れていく。

ミドリ色の工場













来年の個展の町工場系シリーズ(錆色系のシリーズという括りにするかも。でもほぼ8割方工場になりそう。詳しくは未定)では、通常よりも細長い画面のものを多くしようと思っている。1:2というかなり極端な比率。
以前もアパートのシリーズの時に、見て下さったとある方にちょっとヒントを貰っていたのだが、「幻燈街」では実現できなかった、というよりそのサイズがあまり相応しくなかったのだ。
でも次回の工場にはなかなか面白い画面構成になるとひそかに思い、現在試行錯誤中。
工場って、細長いものが多いのだ。

だが中には住宅地に埋もれる小さなトタン家屋のような工場もある。
そういうのは町並ごと描くか。それとも。
思い切ってタテ2横1の縦長構図なんかもあっても好いかも。

今回のラフは地味めなペパーミントグリーンの工場。
この構図通り制作するかはまだワカリマセン(笑)。
Designed by aykm.
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