
昨今は「工場萌え」なるコトバも出現し、俄にブームと化したような工場地帯の風景ですが、私の中ではずっと以前から、工業地帯の、特に夜景に対する想いというのは萌芽していました。
というのも、私はこうした東京湾岸の景色を間近に見て育った人間であり、何故か人一倍、こうした風景が好きな変なコドモでした。特に十代の頃、よく夜の根岸線の車両から見えた景色、また塾帰りにいつも通った、京浜のコンビナート地帯が一望できた崖上からの目くるめく様な夜景は、何故か私の心をいつも慰めてくれたのです。普通の子供より、何故かいつも何処かに寂しい心持ちを抱いたコドモでした。孤独というコトバもよく胸を掠めました。でもこうした夜景に出会うとき、それは孤独で寂しい景色なのだけれど、深々とした、温かい闇を包含しているとも感じたのでした。孤独ということが負の意味でなく、何かが始まる原点のようなもの、自分の砦でありまた、取り巻くすべてから自分を解放してくれるもののようにも思えたのです。
今私がneonというハンドルネームを使っている原風景が、やはりこの画のような景色に在るのだと、そしてそれはずっと変わらないのであろうと思うのです。

昨日、岩波ホールで「ヒロシマ*ナガサキ」を観てきた。
中学生の長男に見せておきたいと思ったのがきっかけ。全編ドキュメンタリーの形式だというので、それはいいと思ったのだ。
私が小学生の頃、家に「少年朝日年鑑」の別冊号で、太平洋戦争と、公害病である水俣病を特集したものがあった。「ガラスのうさぎ」や「はだしのゲン」も心に響いたが、この別冊のなかの写真には、何か子供心にぐうの音も出ない、言葉や感傷や憐憫を超えた迫力を感じたのだった。事実の重さというものを把握するのに、写真というものは何と力を発揮するものか。
映画は淡々と、或いはたたみかけるように被爆者の証言を綴り、それを裏打ちするように映像が入る。細かい感想はここでは書かないが、どの被爆者もそれぞれ非常に印象深かった。息子は終わっても口数は少なかったが、それでもいいと思う。これから、必ずこの国の行く末を考える時にぶち当たるし、その時にこの市井の人びとの言葉を傷を、想い出して貰えればと思う。映画はまだ9月も上映されますし、被爆者のかたのお話もあるようです。岩波ホールHP(上記リンク)を御覧下さい。
今回出した画は、唯一私が戦争廃墟をぼんやりと意識して描いたもの。50号の大きいモノで、とあるグループ展に招待されて出品した作で、もう4年ほど前か。あまり好い写真ではありませんが、乞う御容赦。

千葉県立美術館でやっている「ユトリロ展」に行ってきた。
東京から一時間の距離はちょっと遠かったが、京葉線からの眺めも初めて見るもので、悪くなかった。
今まで印刷物で見ていたユトリロの画にはそう心惹かれなかったのだが、一度銀座の画廊でホンモノを見てしまったら、ああこれはすごいと感動して、今回80点も出ているというのでどうしても観ておきたくなったのだ。
なかなかゆったりとしたスペースで、余裕をもった展示の仕方だったので、ゆっくり観ることができた。作品はやはり初期のものが特によくて、陰鬱なグレーの空に漆喰の白い建物が静謐な存在感をもって並ぶ。
知らなかったのだが、ユトリロは若い頃からアル中で、家庭環境も酷かったのである。そして町角に画架を立てて描いているのだとばかり思っていたのに、巷の絵葉書写真を与えられ、金稼ぎのために母親に監禁されながらそれをもとに描かされたのだという。驚いた。
実際に見ていない建物たちに、くぐもった、しかし見る者を惹きつけるピュアな表情を与え得たのは、やはり天賦の才能なのだろうか。。。
で、今日の画はユトリロとは関係ない(苦笑)ワタシの過去の駄作であります。
ちょっとアヤシゲな場末の界隈をミドリ色に描いてみたかった、4~5年前の作品です。

最近は、ペン画を除いては線だけの作品は少ない。
でも私にとって線、というものは尽きない魅力にあふれたもの。
そして私の好きな線は、細くて靭い線。
だが最近は、かつてよく描いた、ぴんと張りつめたものよりもう少し、のらくらした線を描くようになってきた。トシのせいもあるかな。
でも、つよくても遊びのある線というのは魅力だ。
もっともっと、味わいのある、自由な好い線を描けるようになりたい。
この画は90年代のもの。
パステルで塗り込めた黒バックに描いたので、モニターでは暗めに見えるが実物はもう少し明るい。
これはこれで、自分の描きたい線を懸命に描いている感じがする。
モチーフは、文京区の小石川植物園にある、内田祥三設計の昭和初期の建物。なかなかモダンで素敵な時計塔のある建物である。

紫陽花も咲きくちなしも香り始め、もうまもなく梅雨にはいるのでしょう。雨の季節はやっぱり続くと鬱陶しいものではあります。
でも雨の町は何となく寡黙で、繁華街もいつもの脳天気な喧噪が少し抑えられるのは好きなのです。
勿論下町や陋巷も、雨の似合うたたずまいは其処かしこに見られ、濡れたモルタルの壁や、一層錆の増す鉄の窓枠など、やっぱりそれらも惹かれるディテールです。あと、何故か私はアスファルトの濡れるときの匂い、乾いてゆくときのあの独特の感じも惹かれるのです。全くその理由は自分でも説明できないものなのですが。。。
今日の画は描き捨てたようになっていたもの。
雨の日は暗いのですが、妙にほの明るい空になったりする、そんな感じを描きたかったような。。。

昼間何でもなかった通りに灯りが灯ると、また別の世界が拡がってみえたりすることがあるだろう。踏み入れたことのない店にふといざなわれたり、みすぼらしい軒にほっと灯る玄関灯に、言いようのない安らぎを感じたりすることもある筈だ。
梅雨前のこのわずかな緑匂う季節、暮れどきは空気も何故かみずみずしい気がする。そして都会の真ん中でも、まだひっそりとしたなつかしい闇を残す一角があり、過去の幻影のようなそんな箇所に出会うと、心にあたたかい水のようなものが満ちてくる。
遠くはない日に一瞬にして失くなってしまうであろう建物たち、否もしかしたら今見ているのは遠い昔の幻なのかもしれないけれど、私はいつまでもその姿を心にしまい、いつか自分の四角い画面の中に、はかなくうつくしく描きあげるだけだ。


ふるさと歴史館の展示が終わってひと月経た今日、雑誌「すまいろん」春号が出た。<すまい再発見>の項に、「曙ハウス-建物の解体とブログ-」というタイトルで、m-louisさんの文章とmasaさんの6葉の写真が最後の見開き頁を飾っている。内容は
●根津のブラックホール-曙ハウス
●解体の噂と共に
●曙ハウスの輪郭
●曙ハウスの居住形態とその変遷
●プレート「スウハ曙」とその行方
の項に分かれ、根津の裏通りに80余年を耐えたアパートメントハウス、「曙ハウス」に関するレポートが綴られている。非常に分かりやすく、また簡潔にまとめられた文章は、ここに全部を引用したいくらいだが、是非興味のある方にはご購読頂きたいと思う。(店頭販売は残念ながらしていませんが。)
そして永らく展示していただいた拙「曙ハウス間取り図」の全図を併せてここにアップすることにした。(撮影GG-1さん。)こんな耳付きの和紙に描いたのである。(文字を読めるようにサイズは大きくしてあります、ご了承下さい。)
ハウスは解体されたが、プレート等は保存され、そしてある意味記念碑的なレポートがこうして活字になり、そして根津の片隅の古色蒼然としたあのたたずまいが、また人びとの記憶の中によみがえってくれることをささやかに希う。

何だか暖かい日がつづいて、桜の開花も例年になく早そうで、もうお花見気分になっているヒトビトも多いのではなかろうか。
桜のつぼみのふくらむ時期の空気のあえかな感じはとても好きだ。やはり春は心が浮き立つ気がする。
久しぶりに昔(98年)のNeonシリーズから。
こういう安っぽい、ちょっとアヤシゲでもあり、それでも何だか惹かれる場末のネオン街にも、春が来る。。。
これは、とある仕事関連でこうしたネオン風の画を色々試作していたときの一枚で、画面でおわかりのように黒い紙だけを綴じたスケッチブックに描いている。アポロというメーカーが出していたもので、随分愛用させて貰ったものである。
[場末のネオン] 1998 15×15cm
顔彩、パステル、色鉛筆



桃の節句は昨日終わってしまったが、一日遅れで季節ものをアップ致しましょう。
これは実家の母が大事に持っている貝合わせ。
私が嘗て描いたものである。
今日実家と病院に行ったついでに想い出して写真を撮ってきた。
まだ私が家に居た頃、誰かの結婚式の引き出物のなかに、大きくてきれいな蛤が入っていた。その中に何かお菓子が入っていたようだが、あまりに綺麗な蛤だったので、我流ではあるが内側に金のアクリル絵の具を塗りこめ、そこに画を描いてみたら何だか可愛い。それでことあるごとに蛤を買ってはきれいに洗い、匂い袋などと一緒にしておいてから色々な画を描いていった。それが写真のように数が溜まると、アクリル絵の具とは言えそれなりに華やいだ雰囲気を演出してくれる。

昨年5月のNomadでの展示の折、小さな教会を描いた画を2点出品した。そのひとつがこれ。
とにかく画面中央に小さくちんまり描いてみたかったのである。
画のサイズもF0(14×18cm)であるから、ほんとに描いた教会もとても小さいのだ。最終的にはこの教会のまわりに、ほんの少し雪を降らせた。そのまま出品して、思いもかけずとても気に入って下さった方が現れてその方のところに貰われていったので、完成写真はないのだが。。。
来月、ご縁があって、地元根津の教会で行われる「まちかどの近代建築写真展 IN 根津」(2/10~17)のほうに拙作品も少し展示させていただくことになった。(詳しくは拙HPnewsの項のリンク参照)
日本基督教団根津教会(文京区根津1-19-6)は、1919年築、登録有形文化財にもなっている建物で、愛らしいデザインで親しまれている。雰囲気に合うような、小さな教会の画も少々出品する予定でいる。
[GLORIA] 2006 F0
麻紙ボードにジェッソ、アクリルガッシュ、ミリペン

日頃、なくなってゆく旧い建物たちを巡り歩いていると、何だかそれらに挽歌をささげているような気持にもなる。
建物を新しく造るときは、地鎮祭やら何やらがあるけれど、解体時には何もない。いとも呆気なく、あとかたもなくなってしまい、こちらがまるで幻を見ていたかのような感じさえする。
12年前の今日、震災でたくさんのひとのいのちが途切れた。その人びとのなきがらは葬られて既に形はないが、そのたましいはきっと何処かで誰かの心に受け継がれているのではなかろうか。
なくなってしまった町や建物にたましいがあるかと言えば、ないだろうと一笑に付されるのかもしれないが、それらの記憶を誰かが持ち続ける限り、何かが残ると思われてならない。リアルタイムで知らなくても、たとえ一葉の写真でも、それに何かを感ずることがあるならば。
[冬の町] 2004 F6
麻紙ボードに、ジェッソ、パステル、アクリルガッシュ、鉛筆

クリスマス気分のまだまだ抜けきらない街、人びとのさんざめき、きらめく電飾。それを否定してしまうつもりは勿論ないのだが、あまりに明るいそうした街角に出たとき、何だか面食らうような気持ちにもなる。現実ではないような気がしたりもする。
で、今日の画は我ながら暗いです。まあお許し下さい。変わり者なんです。
これも現存しない、棄ててしまった画の一枚。でも、少し今見ると思い入れがないこともないか。
タイトルもない画なのだが、こうした廃墟のような町を描いたものはよく「廃街」というタイトルを付ける。これを描いたのは2001年頃だったか。廃れてしまった歓楽街、というイメージで描いたのである。
今はこうした、暗さを前面に出した画はほとんど描かない。というか、こうした暗さは内部に秘めていればいいかなという気持ちか。年齢的なものもあるだろう。画面にはもう少し淡々としたものを出したい。
しかし、こういう非現実の風景、或いはそれに似た現実のすがれた風景に惹かれる気持ちは変わらない。来る年も、やはりひっそりと廃れていく町を歩きに行くだろう。
[廃街] P12くらい 2001頃
麻紙ボードにパステル、岩絵の具、顔彩、墨など