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N的画譚

N町在住、陋巷の名も無き建築物を描くneonによる、日日の作画帖です。
湾岸夜景
Neon-4 湾岸夜景151


昨今は「工場萌え」なるコトバも出現し、俄にブームと化したような工場地帯の風景ですが、私の中ではずっと以前から、工業地帯の、特に夜景に対する想いというのは萌芽していました。

というのも、私はこうした東京湾岸の景色を間近に見て育った人間であり、何故か人一倍、こうした風景が好きな変なコドモでした。特に十代の頃、よく夜の根岸線の車両から見えた景色、また塾帰りにいつも通った、京浜のコンビナート地帯が一望できた崖上からの目くるめく様な夜景は、何故か私の心をいつも慰めてくれたのです。普通の子供より、何故かいつも何処かに寂しい心持ちを抱いたコドモでした。孤独というコトバもよく胸を掠めました。でもこうした夜景に出会うとき、それは孤独で寂しい景色なのだけれど、深々とした、温かい闇を包含しているとも感じたのでした。孤独ということが負の意味でなく、何かが始まる原点のようなもの、自分の砦でありまた、取り巻くすべてから自分を解放してくれるもののようにも思えたのです。

今私がneonというハンドルネームを使っている原風景が、やはりこの画のような景色に在るのだと、そしてそれはずっと変わらないのであろうと思うのです。
場末の映画館



だいぶ前の過去作です。

こんな感じの、ちょっと装飾に特徴ある、場末の映画館が好きなのでした。地方の温泉場のピンク映画館なども、うら寂れた感じに惹かれたりします。ネオンだけが華やかに瞬いて、それが一層すがれた佇いに見えたりします。雨の後、濡れたアスファルトの路面にネオンの光が映るのも好いんです。そんなうるんだ風景が、いつもまなうらにたゆとうています。

(画像ではちょっとネオンの蛍光色が綺麗に出ませんでした、悪しからず。)
廃墟の街



昨日、岩波ホールで「ヒロシマ*ナガサキ」を観てきた。
中学生の長男に見せておきたいと思ったのがきっかけ。全編ドキュメンタリーの形式だというので、それはいいと思ったのだ。

私が小学生の頃、家に「少年朝日年鑑」の別冊号で、太平洋戦争と、公害病である水俣病を特集したものがあった。「ガラスのうさぎ」や「はだしのゲン」も心に響いたが、この別冊のなかの写真には、何か子供心にぐうの音も出ない、言葉や感傷や憐憫を超えた迫力を感じたのだった。事実の重さというものを把握するのに、写真というものは何と力を発揮するものか。

映画は淡々と、或いはたたみかけるように被爆者の証言を綴り、それを裏打ちするように映像が入る。細かい感想はここでは書かないが、どの被爆者もそれぞれ非常に印象深かった。息子は終わっても口数は少なかったが、それでもいいと思う。これから、必ずこの国の行く末を考える時にぶち当たるし、その時にこの市井の人びとの言葉を傷を、想い出して貰えればと思う。映画はまだ9月も上映されますし、被爆者のかたのお話もあるようです。岩波ホールHP(上記リンク)を御覧下さい。

今回出した画は、唯一私が戦争廃墟をぼんやりと意識して描いたもの。50号の大きいモノで、とあるグループ展に招待されて出品した作で、もう4年ほど前か。あまり好い写真ではありませんが、乞う御容赦。
建物の表情



千葉県立美術館でやっている「ユトリロ展」に行ってきた。
東京から一時間の距離はちょっと遠かったが、京葉線からの眺めも初めて見るもので、悪くなかった。

今まで印刷物で見ていたユトリロの画にはそう心惹かれなかったのだが、一度銀座の画廊でホンモノを見てしまったら、ああこれはすごいと感動して、今回80点も出ているというのでどうしても観ておきたくなったのだ。
なかなかゆったりとしたスペースで、余裕をもった展示の仕方だったので、ゆっくり観ることができた。作品はやはり初期のものが特によくて、陰鬱なグレーの空に漆喰の白い建物が静謐な存在感をもって並ぶ。

知らなかったのだが、ユトリロは若い頃からアル中で、家庭環境も酷かったのである。そして町角に画架を立てて描いているのだとばかり思っていたのに、巷の絵葉書写真を与えられ、金稼ぎのために母親に監禁されながらそれをもとに描かされたのだという。驚いた。
実際に見ていない建物たちに、くぐもった、しかし見る者を惹きつけるピュアな表情を与え得たのは、やはり天賦の才能なのだろうか。。。

で、今日の画はユトリロとは関係ない(苦笑)ワタシの過去の駄作であります。
ちょっとアヤシゲな場末の界隈をミドリ色に描いてみたかった、4~5年前の作品です。



茶扇子十二ヶ月



少しく涼しくなった気もしますがまだまだ残暑が続く毎日。
またまた忘れていたこんなものが出てきた。
嘗て描いた茶扇子のいろいろ。ちょうど十二本あり、四季折々の草花を描いたもの。母の茶道具の筺の中にしまわれてあった。(画像はその一部の写真です)
茶扇子は通常の扇子より型が小さく、かわいらしい。確か母が白扇(白地のもの)を買ってきたのに、請われるまま描いたのだったと思う。当時は日本画をやっていたので、こんな絵をよく描いた。ぶっつけで直しがきかないのが難だが、数が揃うと楽しいものでもある。
細くて靭い線
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最近は、ペン画を除いては線だけの作品は少ない。
でも私にとって線、というものは尽きない魅力にあふれたもの。
そして私の好きな線は、細くて靭い線。
だが最近は、かつてよく描いた、ぴんと張りつめたものよりもう少し、のらくらした線を描くようになってきた。トシのせいもあるかな。
でも、つよくても遊びのある線というのは魅力だ。
もっともっと、味わいのある、自由な好い線を描けるようになりたい。

この画は90年代のもの。
パステルで塗り込めた黒バックに描いたので、モニターでは暗めに見えるが実物はもう少し明るい。
これはこれで、自分の描きたい線を懸命に描いている感じがする。
モチーフは、文京区の小石川植物園にある、内田祥三設計の昭和初期の建物。なかなかモダンで素敵な時計塔のある建物である。
月夜の階段



私が生まれ育った横浜の町は、坂と崖と谷間の町で、何処へ行くにも階段を必ず上り下りする毎日だった。夏などはこんな地形を恨んだものだったが、階段をのぼりきると急に視界がひらけ、風が立ち、汗を吹き飛ばすような気分にしてくれることもあった。夜など、ぽっかり月が上がっているのが不意に見えたり。そんな意味では、どんな地形の町に育つかは人の心の有り様にも影響するのだと思う。

階段を上りきったところに必ず車止めがあり、裸電球に照らされていることもあった。そんな何でもない日常の風景が、ときどき画のモチーフとなって、紙の上にたち現れる。
バラック商店



ただいまです。
戻って参りました。またどうぞよろしくお願いいたします。

90年代に描いていた変な作品です。
昔住んでいた横浜の小さな商店街に、何となくこんな感じのごちゃごちゃした店がありました。色々なものが置いてあって、店構えはバラックのようですが、その暗がりの奥に小さな稲荷の祠があったり。。。
これはその回想の画とも言えましょうか。
ほの明るい雨降りの日



紫陽花も咲きくちなしも香り始め、もうまもなく梅雨にはいるのでしょう。雨の季節はやっぱり続くと鬱陶しいものではあります。
でも雨の町は何となく寡黙で、繁華街もいつもの脳天気な喧噪が少し抑えられるのは好きなのです。

勿論下町や陋巷も、雨の似合うたたずまいは其処かしこに見られ、濡れたモルタルの壁や、一層錆の増す鉄の窓枠など、やっぱりそれらも惹かれるディテールです。あと、何故か私はアスファルトの濡れるときの匂い、乾いてゆくときのあの独特の感じも惹かれるのです。全くその理由は自分でも説明できないものなのですが。。。

今日の画は描き捨てたようになっていたもの。
雨の日は暗いのですが、妙にほの明るい空になったりする、そんな感じを描きたかったような。。。
夜の幻



昼間何でもなかった通りに灯りが灯ると、また別の世界が拡がってみえたりすることがあるだろう。踏み入れたことのない店にふといざなわれたり、みすぼらしい軒にほっと灯る玄関灯に、言いようのない安らぎを感じたりすることもある筈だ。

梅雨前のこのわずかな緑匂う季節、暮れどきは空気も何故かみずみずしい気がする。そして都会の真ん中でも、まだひっそりとしたなつかしい闇を残す一角があり、過去の幻影のようなそんな箇所に出会うと、心にあたたかい水のようなものが満ちてくる。

遠くはない日に一瞬にして失くなってしまうであろう建物たち、否もしかしたら今見ているのは遠い昔の幻なのかもしれないけれど、私はいつまでもその姿を心にしまい、いつか自分の四角い画面の中に、はかなくうつくしく描きあげるだけだ。

エントランス
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いつ描いたものかちゃんと記していなかったので、何年の作品か覚えていないのだが、たぶん3~4年前だと思う。
何かの建物の入り口部分とか、窓の部分とかだけを描いてみたことがあった。

これも特にモデルにした建物はなく、何となく入り口のディテールを思うまま描いてみたのだと思う。下地に地味な金を塗って、グレーや黒で色は抑えるのはちょっと好きだ。何の入り口かは、見る方々のご想像にお任せいたします。

緋い階(あかいきざはし)



自分の時間の無い、ハードな日々が続いています。
でも久しぶりに何とか更新です。とはいえ旧作ですが。
前回同様、金沢の裏町を描いた作品。ですが具象の色合いの濃かった観音町に比べ、だいぶ自分なりの描き方で描いた一枚。90年代はこうした試行錯誤を続けていました。そして悩みながらも靭い気持ちがありました。この画を見ているとそれが蘇り、描きたい気持ちが先走ります。

*皆様のブログも拝見しながら、なかなかコメントを残す時間が無く、失礼しております。
観音町



少し落ち着いていたのですが、またしばらくせわしい日が続きそうで、旧作でご勘弁を戴きたく。でもこれは未発表作(と言うほどのものではありませんね、スケッチもどきです)。

金沢に観音町という古い町があり、その一角を描いたものです。
金沢は何度か訪れましたが、鏡花ゆかりの地らしい、何とも言えぬ情緒が好きです。名所でなくとも、ひっそりした細道などに心惹かれる場所が随分ありました。やはりこの辺も様変わりしたのでしょうか。それともまだこのたたずまいは残っているのか。。。また確かめに行ってみたいところです。
すまいろん+曙ハウス間取り図(全図)
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ふるさと歴史館の展示が終わってひと月経た今日、雑誌「すまいろん」春号が出た。<すまい再発見>の項に、「曙ハウス-建物の解体とブログ-」というタイトルで、m-louisさんの文章とmasaさんの6葉の写真が最後の見開き頁を飾っている。内容は
●根津のブラックホール-曙ハウス
●解体の噂と共に
●曙ハウスの輪郭
●曙ハウスの居住形態とその変遷
●プレート「スウハ曙」とその行方
の項に分かれ、根津の裏通りに80余年を耐えたアパートメントハウス、「曙ハウス」に関するレポートが綴られている。非常に分かりやすく、また簡潔にまとめられた文章は、ここに全部を引用したいくらいだが、是非興味のある方にはご購読頂きたいと思う。(店頭販売は残念ながらしていませんが。)

そして永らく展示していただいた拙「曙ハウス間取り図」の全図を併せてここにアップすることにした。(撮影GG-1さん。)こんな耳付きの和紙に描いたのである。(文字を読めるようにサイズは大きくしてあります、ご了承下さい。)
ハウスは解体されたが、プレート等は保存され、そしてある意味記念碑的なレポートがこうして活字になり、そして根津の片隅の古色蒼然としたあのたたずまいが、また人びとの記憶の中によみがえってくれることをささやかに希う。
桜さくら



谷中の桜ももう満開のようだ。
染井吉野の透明感のある薄紅いろは、やはりとても美しいと思う。

今日の画像は、3年ほど前に、友人の邦楽リサイタルのチラシのために描きおろしたもの。中央部分にはタイトルや演奏者、日時などの文字が入った。上野にある、旧東京音楽学校奏楽堂での演奏会だった。

友人の希望で桜と太鼓橋を描いたのであるが、桜は画題としても大変好きなもののひとつだったので、久しぶりに胡粉を溶いて描きあげた。透明感のある桜を描くには、やはり胡粉が一番好いと今でも思う。
場末のネオン



何だか暖かい日がつづいて、桜の開花も例年になく早そうで、もうお花見気分になっているヒトビトも多いのではなかろうか。
桜のつぼみのふくらむ時期の空気のあえかな感じはとても好きだ。やはり春は心が浮き立つ気がする。

久しぶりに昔(98年)のNeonシリーズから。

こういう安っぽい、ちょっとアヤシゲでもあり、それでも何だか惹かれる場末のネオン街にも、春が来る。。。

これは、とある仕事関連でこうしたネオン風の画を色々試作していたときの一枚で、画面でおわかりのように黒い紙だけを綴じたスケッチブックに描いている。アポロというメーカーが出していたもので、随分愛用させて貰ったものである。


[場末のネオン]  1998 15×15cm
顔彩、パステル、色鉛筆
手製の貝合せ
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桃の節句は昨日終わってしまったが、一日遅れで季節ものをアップ致しましょう。

これは実家の母が大事に持っている貝合わせ。
私が嘗て描いたものである。
今日実家と病院に行ったついでに想い出して写真を撮ってきた。

まだ私が家に居た頃、誰かの結婚式の引き出物のなかに、大きくてきれいな蛤が入っていた。その中に何かお菓子が入っていたようだが、あまりに綺麗な蛤だったので、我流ではあるが内側に金のアクリル絵の具を塗りこめ、そこに画を描いてみたら何だか可愛い。それでことあるごとに蛤を買ってはきれいに洗い、匂い袋などと一緒にしておいてから色々な画を描いていった。それが写真のように数が溜まると、アクリル絵の具とは言えそれなりに華やいだ雰囲気を演出してくれる。
GLORIA


昨年5月のNomadでの展示の折、小さな教会を描いた画を2点出品した。そのひとつがこれ。

とにかく画面中央に小さくちんまり描いてみたかったのである。
画のサイズもF0(14×18cm)であるから、ほんとに描いた教会もとても小さいのだ。最終的にはこの教会のまわりに、ほんの少し雪を降らせた。そのまま出品して、思いもかけずとても気に入って下さった方が現れてその方のところに貰われていったので、完成写真はないのだが。。。

来月、ご縁があって、地元根津の教会で行われる「まちかどの近代建築写真展 IN 根津」(2/10~17)のほうに拙作品も少し展示させていただくことになった。(詳しくは拙HPnewsの項のリンク参照)
日本基督教団根津教会(文京区根津1-19-6)は、1919年築、登録有形文化財にもなっている建物で、愛らしいデザインで親しまれている。雰囲気に合うような、小さな教会の画も少々出品する予定でいる。


[GLORIA] 2006 F0
麻紙ボードにジェッソ、アクリルガッシュ、ミリペン
なきがら と たましい


日頃、なくなってゆく旧い建物たちを巡り歩いていると、何だかそれらに挽歌をささげているような気持にもなる。
建物を新しく造るときは、地鎮祭やら何やらがあるけれど、解体時には何もない。いとも呆気なく、あとかたもなくなってしまい、こちらがまるで幻を見ていたかのような感じさえする。

12年前の今日、震災でたくさんのひとのいのちが途切れた。その人びとのなきがらは葬られて既に形はないが、そのたましいはきっと何処かで誰かの心に受け継がれているのではなかろうか。

なくなってしまった町や建物にたましいがあるかと言えば、ないだろうと一笑に付されるのかもしれないが、それらの記憶を誰かが持ち続ける限り、何かが残ると思われてならない。リアルタイムで知らなくても、たとえ一葉の写真でも、それに何かを感ずることがあるならば。



[冬の町] 2004 F6
麻紙ボードに、ジェッソ、パステル、アクリルガッシュ、鉛筆
廃街


クリスマス気分のまだまだ抜けきらない街、人びとのさんざめき、きらめく電飾。それを否定してしまうつもりは勿論ないのだが、あまりに明るいそうした街角に出たとき、何だか面食らうような気持ちにもなる。現実ではないような気がしたりもする。
で、今日の画は我ながら暗いです。まあお許し下さい。変わり者なんです。
これも現存しない、棄ててしまった画の一枚。でも、少し今見ると思い入れがないこともないか。

タイトルもない画なのだが、こうした廃墟のような町を描いたものはよく「廃街」というタイトルを付ける。これを描いたのは2001年頃だったか。廃れてしまった歓楽街、というイメージで描いたのである。
今はこうした、暗さを前面に出した画はほとんど描かない。というか、こうした暗さは内部に秘めていればいいかなという気持ちか。年齢的なものもあるだろう。画面にはもう少し淡々としたものを出したい。
しかし、こういう非現実の風景、或いはそれに似た現実のすがれた風景に惹かれる気持ちは変わらない。来る年も、やはりひっそりと廃れていく町を歩きに行くだろう。


[廃街] P12くらい 2001頃
麻紙ボードにパステル、岩絵の具、顔彩、墨など
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