
過日、銀座を歩いていたら過去に個展をしたことがある某ギャラリーの扉に、閉廊の張り紙があった。
六丁目の路面店で、かなり頑張って営業を続けていたが、とうとう・・・。
私が初めて銀座で展示をしたのは96年で、友人と二人の展示だったが、新橋に近いビルの2Fのギャラリーを借りた。銀座にしては安めの賃料で居心地も良かったので、数年経って個展をそこでしようとしていた矢先、いきなり閉廊を告げられた。慌てて探して今度は東銀座に近い、昭和8年築のビルの2FにあったMというギャラリーを借りて個展をした。それが2000年で、私の銀座に於ける初めての個展だった。
いちかバチかの賭けのような個展だったが、思いの外よく売れた。しかし数年後にそのギャラリーもやはり閉じてしまった。若い人らを育てようという気運のあるオーナーだったが、今はどうしておられるのか。
それからまた画廊を探し、六丁目の0というギャラリーを見つけた。此処は裏通りだったが路面店で、通りすがりの人にも画が目に入るのでとても気に入っていた。個展の時は素見、飛び込みで入ってきた方が随分いて、今でもその時のお客さんが来て下さっているが、そこがとうとう無くなってしまったのだ。
銀座のギャラリーで個展をする、ということがひとつのステータスであった時代はもう終わったのかもしれないと思う。ただ、私にとっては、素人の本当に丸腰状態の自分を試すには大きな舞台だった。お世話になった画廊にはお礼を申し上げたいと思う。
そして、2007年に声をかけていただいて以来お世話になっているギャラリーツープラスさんも今月を以て、銀座から日本橋に移転。新しい場所は東京駅の八重洲口から以外に近く、今度はとんとんと階段を下りたB1Fの画廊となる。
私自身は、今はハコのある場所は何処でも好いと思っている。
雰囲気と広ささえ自分の身の丈に合っていれば、そこに画を持っていくだけだ。
あとは某かの御縁がつないでくれるだろう。
画像は過去作ですが(汗)
港の倉庫、というタイトルが裏に記されている小さな試作品です。
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部屋の片づけをしていてふと眼に着いた過去の画帖から一枚。
(町工場、相変わらず描きなぐりつづけていますが、また次回)
吉原のある建物・・・まあ、言わずと知れた過去の容姿を、そこはかとなく残している、
扉のいくつもある建物なのだけれど、随分長いこと見に行くことも無く、
もう無くなっているだろうと半分は思っていた。
が、今年の秋に山谷のほうからずっと歩いてみたところ、これと
並びの特徴ある建物が二軒、そのままにひっそり残っており、
晩秋の陽ざしを浴びてまどろんでいるかのような姿であった。
いつの間にか無くなってしまう建物が多いだけに、
この久しぶりの邂逅はうれしくなつかしかった。
描き方は今とだいぶ違っていて、滅多やたらな線が多い気がするのだが、
尖った気持の昂りのままに細い尖った線でがしがしと描いていたあの頃。
14年も前のペン描きの一枚。

展示は終わったのだが、色々やらなくてはならないことがあり、ひとつずつそれらを片づけている毎日。
展示においでになれなかった方のために、展示の様子をアップしたいなとも思っていたのだが、どうも自分で撮った写真は大したのがなく渋っていた。
そんな中、とある方が素晴らしい写真で展示の様子をアップして下さった記事があるので、そちらにリンクを張らせて頂き、ご紹介したいと思う。
とくとみさんの「とくとみぶろぐ」。
本当に素敵に紹介して下さっております。
そして過去の展示の記事も併せてリンクが張ってあり、もう至れり尽くせりです。
ありがとうございます。
どうぞゆっくり御覧になって頂きたく思います。
・・・・・・・・・・・・・・・
さて、心はもう来年に飛んでいるわけで、
来年の展示に向けた作品づくりに既に着手。と言ってもまだ素材を集めて錬る、というだけであるが。
ただ、好い物件情報があるのと、参照したい画家の展示などがとても好いタイミングで巡って来るのでちょっとそわそわしている。
画像は、その画家にインスパイアされて過去に描いた作品で、未発表ではないけれど
来月、とある所でこれを久々に展示することが決まっており、またその情報は追って出したいと思う。
そしてこの画の指し示す方向?のようなものが来年へと繋がる予感。
じっくりゆっくり、また頑張ります。

ずっと御無沙汰していたHP上の、作品画像の更新をやっと行いました。
とは言え、今回はm-louisさんに全面的にお世話になり(感謝深謝です)、漸く・・・という体たらくですが、昨年PCが壊れて以来懸案だったこの事項がようよう解決し、やっと安堵です。
それまで使っていたGoLiveでの更新を止め、2007年以後の作品の画像は、tumblrというサービスを借りてそこにアップしていくことにしました。
拙HP内の「works」内に、各展示ごとにリンクを張ってありますのでそこからも御覧になれます。
今までブログにも画像を出していなかった作品も何点かあります。
掲載作品は、剽窃、コピーなどの恐れ(まあ無いでしょうが)を一応配慮して、展示作の全てではなく一部に留めてあります。
しかし画像はかなりクリアに大きく出していますので、今までよりディテールが見やすいかと思います。
また、作品の撮影は、GG-1さんとやまださんのご協力を頂きました。ありがとうございます。
これからは、展示後はこのぺージに何点かずつ画像をアップしていきたいと思いますので、よろしくご高覧の程お願い申し上げます。

先日、雑誌で見たので是非実物を見たいと言ってこられた方がおり、お見合い(笑)の末お気に入られ、個展に出していた「京華」はめでたく長野県の駒ヶ根にはるばるお嫁入りとなりました。
ちょうどぴったりの額が用意でき、ツープラスにて壁面に掛けたところを記念に一枚。
思い切り写りこんでますが、気にしないで画だけ見て下さいねー。
いろいろな意味でとても理解のある、好い方の処へ行けましたので、シアワセに過ごせるかと思います。
お見送りした後、ツープラスの近くの K's Galleryさんで、高木敏行展を観る。
面識は無い作家の方だが、ギャラリーのメールでいただいた画像の画がとても好かったから。
ご本人もおいでで、思ったよりかなりの年配の方だったけれど、画はアソビ心満載の、素敵な抽象画。
入口に近い4点はちょっと建物のようにも見え、とても面白かったので、何かヒントをを盗むつもりでじっくり眺めた。
何より、濁りの無い透明感が好きだ。こってりと沢山絵の具を使っておられるのも多いのだが。
ワタシもこういうふうに、「老成」なんて何処吹く風の、歳を重ねてもチャーミングな画を描ける、いつまでも新しい感覚に挑戦し試してみるような(それは技法とかより、精神的に)絵描きでいたいなぁ。
ツープラスさんともよく話すのだが、地味でも息の長い・・・そんな作家に、なって行きたいものですねー。

そこは廃れた小さな劇場で、夜になって灯りが点っても大したひと気もなく、けばけばした色のネオンも却って寂しさを掻き立てるようなところがあった。おそらく次回この町に来るときには、建物ごと無くなってしまっているだろう。建物が無くなると、人びとの記憶からも失われていくのは世の常だ。
そしてそういう町を訪ねそういう建物に出会い、自分の画のなかに再生させる。
しかし私の場合必ずしも事実通りの再生でもなく、勿論記録でもない。そして限りない哀惜の念はあるけれど、その建物の保存を声高に叫ぶものでもない。
私が惹かれるのは大体において、保存運動が起きるような建物ではなく、逆に町のなかでひっそりと隠れるように息づいていて、時には疎外されるような憂き目に遭っているものもある。無くなるときはあっけなく、更地ともなればもう誰も振り向いたり立ち止まったりすることもない。
だが、もう実際に見ることができなくなった建物を想うとき、何故だか私の中で初めて顕ちあがるものがある。実体を持たなくなったことで実景から解き放たれ、自分の中で再構築できる自由さのようなものが生まれるのだろうか。気恥ずかしい言葉を使えば、滅ぶことで永遠に回想できるのである。だからといって勿論滅びの美学などと言う気はない。滅び自体が美しいとは思わないから。ただ、自分の中の回想では、その建物は色々な意味に於いて魅力的で、それらを少しでも魅力的に描くためには、自分のちっぽけな残りの全人生を費やしても、何ら後悔することはないだろう。

作品を作って、初めて他者の前に並べたとき、意外な反応を頂くことがある。
勿論、意外というのは、自分の想定外、ということだ。
この「Cafe Luna」という小さな作品は、描き上がった時は良いと思ったのだが、だんだん、ちょっと地味だったかなぁと思えて、少し可愛らしめの額をデザインし、nidoに制作をお願いして付けて貰った。
額はとても素敵で嬉しかったのだが、果たして画のほうはどうかなぁと、自分ではあまり期待していなかったのだ。
しかし展示が始まるとこの作品は好いという方が多くて、すぐお嫁入り先も決まったし、その後もこういうのが欲しいと言われたりした。
逆に、自分ではこれはと思っていたものがなかなか動かなかったりと、やはり他者の眼は自分の眼とは違う視点を持っているのだ、或いは自分では気が付かないことって多いのだなとか、色々考えることも多かった。
だから展示をして色々な方に見て頂くのは、自分独り制作の殻に籠もっている日々の扉を大きく開けてくれるような気がする。だから迎合する、ということでは勿論無いけれど、独りよがりになりがちな見方に、刺激を与えられるのは、やはり有り難いことだと思う。

・・・のだが、この画の全体画像を、そう言えばブログでは出していなかったなと想い出したのだった。
この画は2007年秋に「タテモノのカタチ」という展示に出品させて頂いたもの。
ブログでは部分的にしか画像を出さなかった。
見覚えのある方もいらっしゃるかと。。。
時たま、「手放したくない作品ってあるでしょう?」と訊かれることがあるが、ワタシのバアイそれは全く無いのですね。そんな境地に達するような画は未だ以て描いていない。自分だけが知っている「記念碑的作」というのはあるにはある(出来不出来は別として)。これも、もしかしたらその一つかもしれないが、今回想いだしたのは、単にどういう描き方をしたんだっけという気持ちから(既に忘れている)、もう一度画像を見たくなったという単純な理由だ。(現品は既に他家へお嫁に行っている)
ワタシにとって一番気に掛かるのは常に次作(新作)であるので、そのために過去の作品を引っ張り出して参照することはたまにあるのである。というのは、ワタシは描き方が一定ではなく、10年前に較べたら随分変わってきている。技術的に巧くなっているかはアヤシイし、体力的にもはっきり言って10年前よりずっと落ちている。勿論画の根本にある精神的な状況状態というものも随分違う気もする。過去作に浸る気持ちは無いが、以前より客観視することはまあできる気もする。
で、ああ彼処はこう描いたんだったな、あの部分はもうちょっと今ならこう描くか、などと思い、
う~んやっぱりまだまだアマイなぁと、結局そこに行くのだが、苦笑しながらまたヨッコラと新作に取り組む・・・のであった。


もうひとつ、以前に装幀の仕事で描いた原画がお嫁入りすることになりました。
小学館刊、山田宗樹著「ランチ・ブッフェ」の原画。
あまりに横長の画ですので、額は武野さんにお願いし、いつもながらですが、イメージにぴったりのものを作成していただきました。
お嫁入り、とはいえごく近所のお宅の玄関に設置予定なので、そちらに伺えばまた会えるという、身近な嫁ぎ先です。
・・・蛇足ですが、こういう額入り画を写真に撮るのって難しいですね。
自分が写り込むし、額は歪むし。。。
少し撮影方法を勉強して上手になりたいものです。

繰り返しくりかえし、ワタシが描いている、そしてこれからも描き続けるであろう建物がある。
今回の画もそうで、実は前回にアップした画とモチーフの建物は同じである。
今回のは前回よりも尚遡る1994年に描いた小さな作品だ。
そしてもとにしている写真は、さらに遡る1988年に自分で撮影したもの。
勿論現在この建物は無い。
この画では実際とは部分的に随分変えて描いているのだが、全体の雰囲気はこんな感じであった。
不思議な美しい建物だった。
タイルとステンドガラス、洋と和、純粋と猥雑、光と闇。
おそらく間違いなく、ワタシの生涯に於いて見ることのできた「最も美しいもの」のひとつに入るであろう。そうしたものにこの世で出会えたことの、シアワセと不思議な縁を想う。

前々回の記事を見て、ギャラリーツープラスさんから「来秋うちで個展やりませんか」という有り難いオファーをいただいた。やはりウレシイことである。二つ返事でお願いする。
自分の中ではまだ大して形になっていなかったのだが、俄然枠組みがハッキリしてきたので、非常に励みになるが、「あまり肩に力を入れすぎないで楽に」とツープラスさんに言われる。
ハイ、その通りですね。。。
今現在の気持ちとしては、旧遊廓のカフェー建築のようなもの・・・それは嘗てワタシが随分テーマとして描いていたものだが、それをまた新たに、今の気持ちで描きおろしてみたいのである。
画像にアップしたのは、ちょうど10年前、1998年に描いたもの。
2000年の銀座での個展に出品したものだが、ネットに出すのは初めてだと思う。
久しぶりに現物を見ると、我ながら何だか劇しいものがあり、ちょっと引く感じもありますね。線がすごく多く、色もハゲシイ。描き方が定まっていないので、闇雲な感じもするが、とにかくワタシは描きたいんだという想いだけでぶつけている感じ。
これは、今はなくなってしまった遊廓街の建物を組み合わせて毀しながら(笑)描いたもの。
10年の歳月を経て、もう一度立ち返った世界を描きなおしてみたいと、
そんなふうに考えております。

世界堂の展示も無事終了致しました。お忙しい中おいで下さった皆様、本当にありがとうございました。
更新もサボっておりましたが、またいつものペースに戻ります。
とは言え今日は、作品としては随分昔のものですが、それが取り持ったちょっと不思議なご縁・・・について。
一対の雛人形を描いた掛け軸・・・これは私がかつて実家にいた娘時代に描き、母が軸装に出して床の間に飾っていたもの。母が亡くなってから私の手元にあったのですが、今の私の家は狭いマンションで床の間もなし、押入にお蔵入りになっていました。そこで、しまいっぱなしになるよりは、と以前櫛を買った近所の骨董屋さんに持って行って話をすると、気の良いご主人、早速季節でもないのにお店に飾ってくれたのです。まあもしかしたら、このあたりに来る外人の観光客が買っていくかもしれないねなどと言いながら。私もあまり本気にせず、また来ますと言ってだいぶ月日が経ってしまったのでした。
ひと月以上経ってしばらくぶりにお店に寄ったところ、掛け軸は見えなくなっており、あれ売れたのかしらと思って入ると、ご主人が言うことには、飾って3~4日して、まあ季節ではないので(夏だった)一回しまおうかとしていた時、ちょうど入ってこられたご夫婦がおり、そのご主人のほうが是非欲しいと仰有ったということ。そしてその方は豊橋の人形屋の方で、ご子息が芸大のピアノ科におられ、その演奏を聴きに上京した帰りだということ。とても穏やかな好い方で、描いた私に宛てて短いお手紙を頂いていると・・・。
見れば、この軸を気に入って下さり、是非お店に飾りたい、HPもあるので見て下さいとのこと。
いや吃驚しました。
HP(「人形処 たちばな」というお店)を見ると、品の良いしつらいのなかにお人形が並べられ、そのお顔も品のあるやさしいものばかり。
とても感じの好い、美しいサイトであります。
その後こちらからも御礼の手紙を書き、交信させていただき、11月にお店がリニューアルするとのことで、軸も飾りましたというメールと共に、この写真が送られて来たのでした。
可愛らしいお人形たちと共に、拙い私の軸が晴れがましそうに飾られて、画のなかの雛たちもうれしそう。こんなご縁もあるのですね。
そして後日談。若きピアニストのご子息が、先日の世界堂の展示にいらして下さり、お話しする機会に恵まれました。素敵な方でした。我が家は芸大には徒歩10分足らず。これまでもどこかですれ違っていたかもしれないのですが。。。
そして、新たにご自宅とお店に飾る画のご注文もいただき、お店のほうでは販売もしたいとのこと。
有り難いお話です。
そんなこんなで色々なことがありました。もとはと言えば、あの骨董屋さんがご縁。
骨董屋のご主人、人形処たちばなのご主人、ともに何とも温かいお人柄が印象的で、またどちらも職人気質な、創作に対する静かな熱意を持っている・・・そんな通じる何かがきっとあってのことだろうと思われるのです。
*11/2 追記:やまださんのブログ「谷根千ウロウロ」の過去記事に、この骨董屋さんのことがでていますので、リンクさせていただきます。→こちら。



制作過程、ラストは3枚連ちゃんで。。。
1枚目:前回建物の周りを暗くしすぎた濁りを取るため、バックにグレー+ベージュぽい色をかける。
2枚目:曖昧になってしまった部分部分のエッジを起こす。またばらけ感のあった色をグレー系に少し整える。まだエッジが立つような繊細な感じが足りなかったので、考えた末、鉛筆で周囲などにタイトな線をがしっがしっと入れてみる。建物の中央部などにもひび割れるような感じの線を縦に入れてみる。背景も、明るくなりすぎた部分に再度パステルをかけてぼんやり陰影をつける。
3枚目:搬入日も迫ってきたので、サインを入れて、これでほぼ作業を終わらせた状態。
世界堂のHPの方にも完成作の画像がアップされました。
額に入った状態で見られますのでご参照下さい。→こちら。
展示は29日まで。
ひとつ下の記事↓を御覧下さい。

コロは片眼のつぶれた老犬だったけれど、通りすがる人たちみんなに愛された犬だった。
以前にも一度ブログに書いたかもしれない。
鎖はついていなかったが、何処かへ行くこともなく、いつもヨタヨタと住処の周りを歩いて、通る人にはちぎれんばかりに尻尾を振って(でもその尻尾もヨタリヨタリしていた)、そして向けるのはどう見ても笑顔に見えるのだ。犬の笑顔。
でもコロがいきり立って吠えたりしていた顔の記憶が全くなく、口を半開きにしていつもシアワセそうな顔をしていた奴だった。
それはワタシの幼い頃の話だから、もうコロのいた家もすっかり無くなっている筈だが、時々何故か想い出すのだ。あの頃の夕暮れの空気の匂いと一緒に。
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世界絵画大賞展 <受賞者展>
10/20(月)~29(水) @新宿世界堂本店6F
am9:30~pm9:00
拙作「Barracks」 協賛社賞受賞しました お時間ありましたらご高覧下さい。

あかいろ、と言ってもそのバリエーションは余りにも豊富で、一口には片づけられない気がしてしまいますが、中でも特に私が反応してしまうあかは、着物の紅絹(もみ)の色だと思います。朱よりも緋、紅、という言葉にちかいイメージ。昔の着物の長襦袢によく使われた色で、紅花をつかって染めていたのは、身体に善いとされていたからだと何かで読んだことがあります。
そんな色の画が出てきたのでアップしました。
もう十年も前の作品ですが、この頃は背景にパステルを多用して、かなり塗り込んでおり、触るとまだ指にあかい色が付いてしまいます。そこに、白の線描だけで描いた町。
何処というモデルはありませんが、記憶の中にある過去暮らしていた町のような気もします。
緋い、紅いまなうらの町。