

3日間にわたって行われたクラポサ着物フェス、展示無事終了いたしました。
おいで下さった皆様、ありがとうございました。
また、参加作家の皆さん、関係者の皆様、お世話になり本当にありがとうございました。
どうなることやら初めは全く分からなかったのですが、色々な分野の方がたと楽しくお話することもでき、また様々な作品にものづくりの刺激も頂き、そして勿論お宝アンティーク着物の数々も沢山見ることができました。
本当は色々ここでもひとつひとつ紹介したいぐらいですが、時間の余裕がとりあえず無いので、いずれ機会をみてご紹介することもあろうかと思います。
3日間連日着物を着たのも初めての経験で、やはり大変でしたがコーディネートは楽しく。。。
画像は最終日に着た自分のコーディネートですが、桜の刺繍半襟、やわらかもののちょっとモダンな、でも色は私好みの渋いよろけ縞ふうの着物、大好きな桜の帯(本当はもう少し藤色)、細かい花柄の長襦袢。全て戦前のもの。着物の八掛(裾部分の裏地のような部分)には、御覧のように黒地に紫の薔薇がひそかに咲いている。。。普段は見えませんが裾捌きによってひるがえると、ちらっと見えるのが何とも。
さて3月ももう終わりですね。
今度は来月末からのnidoの展示に向けて全力投球です。


正月休みも終わり、日中は閑かな時間が戻ってきました。
画本用のF3の画を描くペースも、少し掴めてきたようなところです。
昨年、画を描くために小さな可動式の机を買ってから、卓上用の小さめのライトが欲しいと思っていたのですが、なかなか果たせませんでした。
偶々昨日、とあるインテリアショップを通りがかりに覗いたところ、ちょっと変わったライトを見つけました。電話機のようにも見える、シンプルなフォルムで、軽くて台座の面積がごく小さいのも好都合。(というのは机自体がが小さく、いつも絵の具やら鉛筆やらでたちまち埋まってしまうのです。)台座には小さな雲?花?の形のスイッチボタンがひとつあるだけです。
光源はLEDライトというもので、半永久的に使え、取り替えの必要のないものだということ。これは面倒くさがりのワタシには相性が好いかもしれない、と・・・暫し考えた後、白いデザインのものを連れて帰ることにしました。
早速家でテーブルにセッティングしてみたのが上の画像です。光源はごく小さいのですが、40Wの明るさがあり、画を描く手元を照らすには充分な、しかしやさしい光です。
昼間でも画を描くときに、微妙に色が気になるワタシには、これから永く好い相棒となってくれそうな、・・・小粒でも頼もしい仲間です。
*Mindspring社HP
(描きかけのバラックの画は、完成しましたらアップします。)

ミニアチュール、という呼び方を初めて私の画にして下さったのはオーライタローさんで、それまではそんなコトバさえ知らなかった。厳密には、もっと細密な画を指す呼び方なのだろうが、この言葉の持つイメージに惚れてしまった。精緻で、宝石のようなイメージ。しかし描きためていた小さな画たちは、やはりおよそそこからは遠い気がした。もう少し、ひとつひとつに時間をかけて、その完成度のようなものをアップしたい。
画像のようなミニ彩色画を、もっと納得いくまで練り上げ磨き上げたものにして描きためる、それがひとつ。
それと、意外といつも好評な「陋巷画日記」の線画シリーズ。これも本の中の一部に入れてみようかなと思っている。その部分はできたら紙も変えて、ちょっと生成な色の、ざらっとした感触のもの。こちらは今までの感じを継投し、字と組み合わせた走り描き的なもの。もう少し、本にすることを意識して、でも気楽な感じで。
2冊分冊にすることばかり考えていたのだが、いや、両方とも私の要素だし、一緒にしても好いのではと最近思うようになってきた。
デザインや装幀も、心強い味方がブログのおかげで何人か居てくれるので、できるところまでは自分たちでやってみたいと思っている。
漸く数年がかりで此処まで纏まってきて、さてあとは描きためるだけ。
前置きが長くなってしまいましたが、今後このブログにも多少本作りを意識した作品もアップしていきたいと思っています。(勿論大きい画も描きますが。)
道は長いし、完成がいつになるのかは見当がつかないけれど、そのプロセスこそが醍醐味なわけで、愉しみながらこつこつ細々淡々とやっていければ好いなと考えています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。

前回の続き。
画の本を創る、ということを考えるにあたって、そのスタイルに非常に拘ってしまうのは本末転倒のようであるが、私のバアイに限ってはどうしてもその部分を他人任せにできない気持ちがあって、それを念頭に置いてしまう。言い方を変えると、「本」という形式がとても好きなのだ。
そこに展開する画にも、或る意味一貫性を持たせてまとまりのあるものにしたい。その頁ページが独立して美しい、・・・まあそれは遙かな理想でしかないのだが。たとえば望月通陽さんの画の本などは崇高なる憧れである。
今回「タテモノのカタチ展」でご一緒したオーライタローさん、岡本雄司さんもそれぞれ形は違うが、本の形にした作品があり、とても参考にさせて頂いたと同時に、やはり冊子や自家製本の形に対する想いのようなものも多少なりと感じた。やっぱり好いなあ、ページを捲ると画が展開する、っていうのは。(続く)
*今回の画像は、数年前に、本の見返し(表紙の裏側)部分にこんな幾何学模様を使ってみたいと描いてみたもの。そんな贅沢なことは、実際にはおそらく無理だと思いますが。。。)

展示が終わってあっという間に一週間。ちょっと解放された気分と、もう次に描く画のことで本当は頭の中は一杯なのだ。(ですが今回も画像は写真で失礼します)
ここ数年ずっと考えていたのが、小さな画の本を創るということ、そしてそのための画を描くということだった。それでF0(18×14cm)というサイズの小さな画を描きためていた。昨年のNomadの展示ではその画を出展し、だいぶ売れて数はなくなってしまった。だが、本にするためにはまだまだ練り上げ方が足りない段階だったし、カフェに来る人たちの好みや感想なども、その後とても参考になったのだった。だからまた1から描き始める気持ちでいるのだが、そのスタイルにもコダワリがあって、なのにこれという構想が今一できあがらず、その間ばたばたと色々なことがあって、延び延びになってしまっていた。
それが皮肉なことに、つい先頃、前回も書いた近所の大好きだった赤錆の家(画像)が解体されてぽっかり更地になったのを見たとき、小さな燃えるようにあかい家を描いてみたくなり、と同時に頭の中にその画がはっきり浮かんだ。おかしなものである。そして同時に本のスタイルも、「こう」というものが漸く見えてきたのだった。(続く)

今回は画のアップはお休みして、ちょっと違う話題です。
でも、昔から大好きだったちりめんの布について。
半襟を縫いつけるために、久しぶりに出したちりめんの長襦袢。以前骨董屋さんで手に入れたもので、おそらく昭和初期頃の、戦前のものです。若い頃からちりめんの布地は大好きで、少しだけはぎれ集めもしていたのですが、この襦袢も着るというより布模様の美しさに惹かれてしまったものです。だいぶ傷んだ箇所もあり、布地が薄くなっていたりしますが、色合いの見事さは御覧のとおり。これを見ているだけでもうっとり時間が過ぎてしまいます。
傷んだ箇所は、誰がしたのかあて布(それもまた綺麗なちりめんはぎれ)をして繕ってあるのです。お店のひとがしたのか元の持ち主がしたのかさだかではないのですが、ちくちく刺した手縫いの針目は、なんともあたたかくて、布のやわらかさとともに、年月を経たものの優しさまで感じさせてくれます。
昨年の秋に出た「銀花」147号に、こうした昔のはぎれを接いでつくった長襦袢や産着などの名もない作品が沢山出ていますが、本当にどれもうつくしく、大切に繕いながらそれらを受け継いでいったことが偲ばれます。
私の幼い頃は祖母も木綿の着物を着ていたし、今のように「着物」が必ずしも高級品ではなく、まだ辛うじて身近にあったのだと思います。そして洋服でも靴下でも、穴があいたら繕ってまた着ることもずっと多かったような気がします。私自身、裁縫上手でもありませんが、靴下やズボンの膝などの繕い物はよくやっていました。たぶんあの、単純なちくちく縫いが好きなのですね。
で、この美しい柄の古い襦袢も、色々チェックして細い絹糸で繕ってやる時間は、何だか気持ちがやさしくなるようで、今に、画の合間に老眼鏡でちくちくやっているおばあちゃんになるのも好いなあなどと本当に思ってしまうのです。
画の展示のお知らせは、こちら。もう来週です!

亡くなった母はきものの似合うひとだった。
和箪笥には何枚も、生前大事にしていた着物やら帯やらがはいっていて、その中から何枚か、片づけながら私のところに持ち帰ってきた。
背格好がほぼ同じだったので、母の着物は直さずそのまま私も着ることができる。
紺地に菊模様の紬は、私もそろそろ着てもおかしくない年齢だろう。
もうひとつの、ほとんど白地にもみえるが、淡く灰緑がかった訪問着は、ちいさな絞り染めの線で、椿の模様がいちめんに描かれている。芯の部分が優しい桃色で、こんな色の半襟に合わせたら好いかも知れない。母の好きだった、珊瑚の薔薇のちいさな帯留めかざりと一緒に。
秋になったら、袖を通してみようかと思う。
(今回は、画は夏休みといたしました。)
今日の午後、かねてより癌闘病中であった母が世を去りました。
父に続いて母も同じ年に見送ることになりました。
しばしブログはお休みいたします。
でもすべて済みましたらまた戻って参ります。
どうかまたその折はよろしくお願いいたします。
父に続いて母も同じ年に見送ることになりました。
しばしブログはお休みいたします。
でもすべて済みましたらまた戻って参ります。
どうかまたその折はよろしくお願いいたします。
今朝(3/11)、実家の父が逝去いたしました。
ガン闘病中ではありましたが、昨日も言葉をかわし、「また来るからね」と言って別れたのが最後になりました。
几帳面な人で、何十年も欠かさずつけていた膨大な日記と、枕元にあった病床メモの細かい字が、それを物語るようです。
しばらくブログ更新は滞りますが、落ち着きましたら再開いたしますので、またどうぞよろしくお願い致します。

あけましておめでとうございます。
皆様よい新年をお迎えのことと思います。
さて2007年元旦、新しいHPサイト[Neontica]をオープンいたしました。
やっと、という感じで、途中で息切れしそうになりながらも、何とかここまでできました。シンプルで見やすい感じの、そしてブログではばらばらであった作品を少し秩序づけたサイトを作りたいと思っておりました。しかし勿論独りでは出来る筈もなく、ブログを通して知り合った方々のお力を借りて、3ヶ月ほどかかって漸くオープンに漕ぎつけました。
内容は作品の全てを網羅したものではなく、画像も充分とは言えませんが、御覧下さる皆様のご意見ご感想を聞きながら、徐々に充実させていきたいと思っています。どうぞよろしくお願いいたします。
尚、現在広告の表示がされておりますが、元旦オープンに間に合わせるための暫定的なもので、1週間ほどで広告表示なしのサイトに移行する予定です。しばしお見苦しい点、ご容赦下さい。また、ブラウザによってかなり見え方も違うようです。画面の乱れなどお気づきの点はどうぞご指摘下さい。
では、どうぞお時間のある時に、ゆっくりとお楽しみ戴ければ幸いです。
今後ともよろしくお願いいたします。
(*ブログエントリー更新は1週間ほどお休みいたします。
戴きましたコメントにはお返事できるかと思いますので、是非どうぞ!

あけましておめでとうございます。
お世話になっている玉井一匡さんのブログ「My Place」から「わがやのお雑煮大会」をお正月エントリーにお願いします、というお誘いをいただきました。あまり上手な写真でなくて恥ずかしいのですが、とにかくアップ致します。
我が家は基本的には東京風だと思います。母は東京生まれ、父は横浜です。お雑煮のお出しは鰹節と干し椎茸で、おすまし仕立てです。具は焼いた角餅に鶏ささみ、大根、人参、干し椎茸、鳴門、三つ葉ぐらいでしたが、私は彩りに手鞠麩や梅麩を入れます。
干し椎茸はあまり他のお宅では入れないのでしょうか。うちは年末に沢山の干し椎茸を水戻ししますので、そのよい香りで「ああお正月だな」と感じます。

九月の声を聞いた途端に、朝から涼しくなった。
今回から数回、私の住んでいる町の周辺についてのことを、画も織り交ぜながら書いてみます。
私が根津の町に住むようになって三年余りが過ぎた。
このブログの「N的」は、neonのnであると同時に根津のNでもあり、「N町暮らし」というタイトルにしようかとも思っていたのである。
私と家族が住むことになったマンションは、ちょうど文京区根津と台東区池之端の境にあり、かつては根津宮永町、池之端は谷中清水町という名称だった。
千駄木在住のnorizoさんに、「マンションのお隣の床屋さんを桑原甲子雄が撮っていて、その写真が載っている本があります」と聞いたときはちょっと吃驚した。

2泊3日で、群馬県桐生市に行ってきました。
半端でない暑さだったのですが、1日目は鉄系の子供に付き合って「わてつ」(わたらせ渓谷鉄道)の旅、2日目は自由時間を貰って桐生の町歩きと、松本竣介作品に会いに大川美術館、そして夜は桐生八木節祭りクライマックス鉾の曳き違いを見てきました。
画像は今回は写真です。
2日目町歩きのとき、桐生天満宮での骨董市でのショット。
見るからに涼しげでした。
和ガラスが大好きな私、夏場ということで御覧のような昭和初期の氷コップがだいぶ出ていて、思わず撮影。しかしこれは買わずに(欲しかったけど)、小さなショットグラス(何と300円也)をひとつ購入。下の写真の、手前オレンジ色のもの。他は少しずつ溜まったささやかなコレクション。冷酒用です。あ、ちなみに桐生では地元のお酒「赤城山」をいただきました。すっきりした辛口でした。

趣ある桐生の町並については、次回に。。。
*(予め資料や写真、情報を下さいましたブロガーの皆様、ありがとうございました)


こんな下手な写真を載せるのは本当に憚られるのだが、今写真の勉強をしている時間がどうしてもないので、どうか我慢してご覧下さい。
さて、写真はマズイが、スバラシイ額なのである。
画というもの、やはりそれを飾るのであれば、うつわである額は大切な要素だ。とは言うものの、なかなかこの選択は難しい。画材店に行けば既成のものは沢山あるし、見本も色々ある。だが、様々な展覧会などで名画とよばれるものを見るとき、なんだか額が合っていないなとか、なんでこんなキンキラゴテゴテ額なんだろうとか思うことがある。意外とそこまで神経が払われていないケースも多いのだ。画家のほうも、案外額には無頓着ということも意外に多い。
でもやっぱり私は額というものには、作品と同等の愛着を感じていたいのである。

裏話になるが、今日は画でなく愛用画材を並べてみた。
私の画を見て、「これは何画?」と聞かれると答えに窮するのだが、これらをご覧になって何画と言うべきか、ご判断頂ければ幸いです。
というわけで左上、ジェッソ君。普通は下塗りに使うものだが、私はそのままこれを背景色としてしまう。(これは有元利夫のやり方に少しヒントを貰った)。画像に白いへらのようなものがあるが、これで画面に塗りつけたり、ばさばさになった平筆で塗ったり。白いボードが、愛用の麻紙(まし)ボード、サイズF0。5ミリ厚の板に白い麻紙を張り込んだもの。滲まないようにドーサという液体がかけてある。これは日本画用の画材。かつて日本画学習時代に使っていて、そのまま現在まで使用。この上にジェッソをかけると、好い具合の肌理が残り、風合いも出る。こんな邪道なやり方をしているのは私ぐらいだろう。
チューブ状のものはアクリル絵の具。だいたいこの10種くらいのグレーを基本に、適当に混ぜながら使っている。メーカーもばらばら。色が気に入るとどこのでも使う。ターナーのアクリルガッシュで和風の色名シリーズを出しているが、紅梅色や淡水色は建物の色によく使う。どちらか言うと、ソフトタイプが好きである。