
話が前後するが、前回の画を描く直前に橋本を久しぶりに再訪した。鳥の窓の家も、もうすでになく、遊廓の建物は半減してしまっていた。昔の恋人の凋落ぶりを見るようで切なかったが、下手に観光地のようになってしまうよりはまだ耐えられる気がしたのだった。
そしてF30の画を描いてからは、遊廓建築を描くことからだんだん離れて、もっと市井のありふれた建物に目がいくようになっていった。
だが今でもかつて遊廓だった場所の残り香のようなものには惹かれるのである。私の今住んでいるN町にもかつて遊廓があった。ほんの少しだけ、その名残はまだあるようにも思う。
そして実は明後日、・・・6年ぶりにHを訪れる。
アップした画像は、1995年に、まだ黒い紙にネオン管のように描いていた頃の、断片のような画。鳥の窓のモチーフは、きっと心の中にずっと持ち続けるだろう、たとえそれを描かなくなっても。
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