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N的画譚

N町在住、陋巷の名も無き建築物を描くneonによる、日日の作画帖です。
浅草三友館


前回同様、これも古いファイルにあった画のひとつで、モノクロ写真を見ながら描いたもの。
三友館は浅草公園六区にあった活動写真館である。明治40年(1907)開館、主に日活系の活動写真を上映していたが、キネオラマという巨大ジオラマ風の出し物で話題になった処だそうである。明治末~昭和初期には、六区には金竜館、電気館、帝国館等々の活動写真館や娯楽施設が所狭しと並び、当時の賑わいは今からは想像できないほどのものであったようだ。この画は震災後のバラック建築の建物である。

この季節に浅草というと、もうひとつ想い出す文章がある。
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扉と窓


仕舞いっぱなしの、忘れていた昔のファイルを見たら、あ、こんなシリーズものを描いていたなぁというのがあった。Silent Doors というタイトルで、心惹かれた扉のデザインを、自分なりに描いてみたものだ。94年と言えばまだ子供も小さかった頃だから、町歩きはあまりできず、その代わりに写真集や文献からモチーフを漁っていた頃だ。

この画もそんなひとつで、何かの写真を参考にしていたと思う。昭和初期の理容店のモダンなデザイン。扉も窓も、今見ても新鮮な意匠だ。タイルが散りばめられ、窓もぱたんと回転して開閉する。モノクロ写真からの取材なので、色は全く自分流。色鉛筆だけで、拙いところもあるけれど、過去のファイルを見ると、自分の「描きたい気持ち」だけはリアルに想い出されてきてなつかしい。

[昔の理容店] 17×15cm 1994
グレーのマーメード紙に色鉛筆
今秋の課題2


前回の続き。
油彩絵の具はなかなか魅力的なのだが、キャンバスがどうも性に合わないのである。目の粗さやぺかぺかした感じが気になってしまうのだ。ヤスリをかけて目をつぶしたり、色々方法はあるだろうが。。。
ちょうど八重洲の不忍画廊で、齋藤真一さんの展示をしているのをオーライタローさんのブログで知って、見に行ってみる。久しぶりに見る齋藤さんの画は、やはりてかてかの紅い絵の具が溢れているのだが、いつ見ても変わらず心打たれる。キャンバス地は全く見えないくらい、絵の具が塗り込められている。
一方、昨日玉井さんmasaさんの記事の載った雑誌「住む。」を見たら、三谷龍二という木工デザイナーの方の描いた、非常に素敵な画が載っていた。
今秋の課題1


7月8月と、どうしても自宅の人口密度が高くなり、狭い中ではなかなか思い切って絵の具を拡げられない。まあそれは毎年のことなので、割り切って夏の間は、モチーフの取材と咀嚼(と言えば格好いいが、要するにいつものアイデア・ラフスケッチのようなもの)に終始した。かなり精力的?にあちこち廻ったため、ラフのほうも100とは言わないがかなりの数が溜まった。だがそのうち実際に画になっていくのはほんの少しではあるのだが。。。

ひとつのラフから、それを見つつもっと簡潔にしたりバランスを計算して換骨奪胎していくので、何冊ものクロッキー帳に跨ってしまう。それで、だいたい形が練り上げられるといよいよ着彩。だが課題も山積。
幻燈


16,17日は根津神社の秋祭り。今年は特に「御遷座三百年大祭」というもので、三基の本社御輿が巡行するとかで、これは戦後初めてのことだそうだ。明日が本番であるが、今日も根津の七ヶ町からそれぞれの御神輿が出て賑わった。御神輿を担いだ人には、お弁当と入浴券が配られる。終わったら宮ノ湯で汗を流して下さい、というわけだ。

私の家のはす向かいに、この町内の御神輿の発着する御神酒所があり、朝からお囃子の音が賑やかだ。町名を染め抜いたいなせな法被を着た男衆が往き来する。
夕暮れになると、いつもは暗い路地に、この時ばかりはぼんぼり型の提灯が点々とつく。この色が何ともふんわりした淡紅色で、華やかな中にもほんのり寂しさもあるような、切なくなつかしい色なのである。
遠い昔の夜の空気にふっと触れるような、そんな気持ちにさせてくれる色。まるで幻燈のような。
多分私は、こんな色を描きたいのだ。

明日は今日にもまして賑わうであろうこの町。
やっとひっそりした夜の時間に、すずしい風がほんの少し、灯りを揺らしながら過ぎてゆく。
巷に雨の降るごとく
ame2.jpg

秋雨の毎日。。。

根津周辺譚は前回で一区切りし、また間をおいて記事を書きたいとも思っております。

雨の画を先のNomad展のとき出した。
二枚ひと組のようになっているのだが、これは本当は「本」を想定して、その見開きページのつもりで描いていたものの一つだった。
彼岸花


周辺譚その4。

曙ハウスが無くなって早半年余り。相変わらずのコインパーキングは、そう流行っているわけでもなく、変に穴の空いたような空間が依然として残っている。
ハウスのあった路地からもう一本裏の、これまたもっと細い路地に、何人かの方に「曙ハウスJr」とか「二世」とか言われている家並みがある。四軒の家がくっついている長屋で、建物の感じはハウスを小型にしたような造りで、戦前の建物と思われる。もうすでに廃屋だが、いまだ取り壊されずにある。
夢の跡


引き続き、我が町の周辺譚その3です。

根津に越した頃、「粋な所に越したねえ」と何人かの方に言われた。年配の男性で、荷風などの文学好きと思われる方がほとんど。そのイメージはおそらく根津にかつて遊廓があったことからくると思われる。だが、実際根津遊廓は明治21年に洲崎に移転させられた(近くの帝大生に悪影響を及ぼすということで)ので、以来遊廓そのものはこの町から無くなってしまっている。
建物で言っても、その面影を遺していた上海楼という旅館も先年無くなったし、マンションばかりが増えて、遊廓の残香はほとんど見あたらない。そう思っていた矢先、不忍通りを一本裏に入った通りにあるお米屋さんのおじさんに、「向かいの家は、昔の遊廓の跡だよ」と言われて吃驚した。
一銭五厘たちの横丁-その2 *I理髪店


前述の「一銭五厘たちの横丁」で探しあたった家族のひとつが、なんと我がマンションの隣のI理髪店の一家であった。

桑原甲子雄撮影の二枚の写真に写っているのは、当時のご主人と娘さん。出征中の二人の息子に送られたらしい。幸い二人の息子は帰還し、弟のほうが理髪店を継いだ。現在はその弟さんも既に亡いが、奥さんが元気に床屋業を営んでいる。
写真を30年ぶりに見たときの、弟さんの浮き立つ様子は、この本の中でも微笑ましくいかにも下町らしさが横溢して楽しい。明暗併せ持つ戦中戦後譚は、勿論この家族にもあるのだけれど。
一銭五厘たちの横丁-その1


九月の声を聞いた途端に、朝から涼しくなった。

今回から数回、私の住んでいる町の周辺についてのことを、画も織り交ぜながら書いてみます。

私が根津の町に住むようになって三年余りが過ぎた。
このブログの「N的」は、neonのnであると同時に根津のNでもあり、「N町暮らし」というタイトルにしようかとも思っていたのである。
私と家族が住むことになったマンションは、ちょうど文京区根津と台東区池之端の境にあり、かつては根津宮永町、池之端は谷中清水町という名称だった。
千駄木在住のnorizoさんに、「マンションのお隣の床屋さんを桑原甲子雄が撮っていて、その写真が載っている本があります」と聞いたときはちょっと吃驚した。
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