
この画をアップするのに好い季節になった気がする。
2003年の個展のときに出品した一枚。タイトルはそのまま個展のタイトルとも同じ。遠景の街、といった意味合いであるが、おんがいという響きが好きなのだ。
モチーフは何処というものはないが、生まれ育った横浜の丘から眺めた景色が、やはり原風景にあるのだろう。
この画は、銀座で通りすがりに入って来られた方が気に入って下さり、その日はお帰りになられたものの、翌朝電話で「どうしても欲しいので・・・」と仰有って買って下さった。その後もいつも展覧といえば地方から来て下さる。そんな数少ない稀有な出会いも、私の細々とした画の歩みを何処かで支えてくれている。
[遠街] 727×500mm 2003
麻紙ボードにパステル、アクリルガッシュ、顔彩

JR鶴見線の「国道」駅から降りて少し歩いた鶴見川河口のところに、嘗てずらりと平屋の襤褸バラックが並んでいた。以前はこの辺りは漁業に従事している家がほとんどで、今でも通りには魚屋が多い。貝の店が目に付くから、嘗てはは随分採れたのだろう。
20年前、この近くに半年ほど住んでいたことがあるのだが、当時の眺めを想い出すと、本当に時代を間違えたかのような錯覚を覚えるほど、何とも寂れた、しかしなつかしい気持ちになる。
私が幼かった昭和40年代には、まだまだ周囲に「貧しさ」の匂いがあり、そしてそれが普通のことだったように思う。着る服はおさがりだったし、穴があけば繕う。卵が足りないから隣の家に1個借りに行く、なんていうこともあった。
このバラック街も、2年前にすべて取り払われて、今はまっさらなコンクリートの遊歩道ができている。あの、翳りを抱えた襤褸小屋たちと引き替えに、一体何を得たのだろうと、影ひとつ無い、溢れんばかりの秋陽のなかでふと想う。
[河口のバラック] 13×27cm 2004
麻紙ボードにジェッソ、アクリルガッシュ、パステル、色鉛筆、ミリペン

夏に取材した色々なバラックの写真を見ながら、(写真は下手だが)様々にかたちをつくってみるのが愉しい。特に集合バラックとも言うべき長屋群の、アーティスティックな思惑など全く無い(筈の)塊は、本当に魅力的だ。色も素材も形も、必要だからそうなったという「必然」の存在感。そしてだんだん見ていると、ユーモアやウィットや諧謔味まで感じられてくる。
モノクロの、ちょっと遊びのある線だけでかたちを描いて、そこに黒とグレーだけで、シンプルに味付け。動かない建物たちだけれど、何だかリズムのようなものを感じる。ジンタのリズムが合うように思うのですが、如何。
[Barracks] 10×14cm 2006
画用紙にミリペン、筆ペン、色鉛筆

たまに根津と根岸を間違える人がいるが、今日の画は台東区根岸にあったアパート「鶯荘」。名の通り鶯谷の駅に近いところに嘗て在った建物である。冨田均の「東京私生活」(作品社、2000年刊)には91年当時のアプローチの写真が出ており、私は94年に偶々出くわし、外見は相当に傷んで汚れも酷かったが、看過できない存在感があった。
まず玄関アプローチと2階の屋根のの庇部分が、アールのついた美しいデザインで、入るとソテツの茂った中庭まであり、昭和の初期のモダンでハイカラな雰囲気が感じられる。階段の途中には丸窓があり、廊下も広く、かなりしっかりした造りだったのを記憶している。
だが昨年訪ねてみた時には、やはり既にマンションが聳え、跡形もなくなっていた。
「根岸の里の侘び住まい」と言って、江戸の昔はは隠居所などが多かったという根岸の町。どんなにか寂れた、しかし閑静な雰囲気の処だったのだろう。金杉通りや柳通りに、微かにその面影を辿るしかないが、やはり時々ふらりと行ってみたくなる町でもある。
[鶯荘] 14×18cm 2006
麻紙ボードにミリペン、画墨

都市の夜の電光の眩しさは、度を越していると思わずにはいられないが、私が小さい頃から住んでいた家の窓からは、港のほうの夜景がよく見え、灯台代わりのマリンタワーの光が廻っているのを、飽きもせず眺めたものだ。京浜の工業地帯の無機的な眺めも、夜は一変してこの世ならぬ電光の夜景となり、それもひどく美しく見えた。
そんな景色を描きたいと思うとき、なかなか巧くいかなかったのが「光る電光色」をどうやって表現するかということだった。拙いながら自分なりの描き方をようやく見つけて96年にNeonというシリーズものを描いた一枚がこの画。根津のお祭りの時の、ぼんぼり提灯の色にも少し通ずる気もするような。。。
[街のネオン] 20×15 1995
黒い紙に顔彩、パステル、色鉛筆
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