N的画譚

N町在住、陋巷の名も無き建築物を描くneonによる、日日の作画帖です。
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新年にHPを起ちあげます


2月にブログを始めてから、自分では思ってもみなかった沢山の方々との出会いや交流があり、何だか色々な展開が生まれた一年でした。
それに加えて、新年から新しくHPサイトがスタートいたします。ブログもその中に吸収するかたちになります。

HP作成には、Nomad展でご近所住まいだとわかった、名サイト東京浪漫劇場の管理者であるtomoさんにすっかりお世話になりました。不馴れな私に3ヶ月も根気強く付き合ってくれたtomoさん、ほんとにありがとうございました。まだまだ不備があるとは思いますが、また御覧になった皆さんにも教えて頂きながらやっていきたいと思っています。

皆様、今年一年お世話になりました。
来る年もどうぞよろしくお願いいたします。

HPアドレスその他は元旦にこのブログにてお知らせする予定です。
是非是非お立ち寄り下さいませ!

今日の画は、何となく年末の雰囲気のする、根岸にかつてあった旧い商家のスケッチ。もう十年以上昔の画です。
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廃街


クリスマス気分のまだまだ抜けきらない街、人びとのさんざめき、きらめく電飾。それを否定してしまうつもりは勿論ないのだが、あまりに明るいそうした街角に出たとき、何だか面食らうような気持ちにもなる。現実ではないような気がしたりもする。
で、今日の画は我ながら暗いです。まあお許し下さい。変わり者なんです。
これも現存しない、棄ててしまった画の一枚。でも、少し今見ると思い入れがないこともないか。

タイトルもない画なのだが、こうした廃墟のような町を描いたものはよく「廃街」というタイトルを付ける。これを描いたのは2001年頃だったか。廃れてしまった歓楽街、というイメージで描いたのである。
今はこうした、暗さを前面に出した画はほとんど描かない。というか、こうした暗さは内部に秘めていればいいかなという気持ちか。年齢的なものもあるだろう。画面にはもう少し淡々としたものを出したい。
しかし、こういう非現実の風景、或いはそれに似た現実のすがれた風景に惹かれる気持ちは変わらない。来る年も、やはりひっそりと廃れていく町を歩きに行くだろう。


[廃街] P12くらい 2001頃
麻紙ボードにパステル、岩絵の具、顔彩、墨など
Bar Arizona


早いもので、もう今年もあと10日余り。街に出れば至る所クリスマスの電飾がちかちかしている。で、我がブログもちょっとneonticaな?画を引っ張り出してみた。
昭和初期に大阪に実在したバーを、neonふうに描いた一枚。
皆様、佳いクリスマスをお過ごし下さいますように。

作者追記:Bar Arizonaは「都内」としておりましたが、「大阪」の誤りでした。大阪は曾根崎にあった建物です。訂正致しました。

[Bar Arizona] 1995 B5
水彩、パステル、色鉛筆
すずらん灯のある街角


街の灯りは数々あれど、好きな街灯のひとつに、すずらん灯がある。
すずらんの花のように、一本の柱に2~3個のあかりが並んで付いているものだ。この画のものはちょっと変形ではあるけれど。
この画はどこの街というモデルはないのだが、このすずらん灯は三河島か何処かの商店街で見かけたのを、ちょっと変えて描いたと思う。

話は逸れるが、すずらんの花自体、とても好きなのだ。「すずらん」という名前の響きも、小さなちいさな花のかたちも、そしてほんのりとした白い香りも。香水はあまりつけるほうではないが、「すずらんの香り」だというDiorのディオリシモだけは、ずっと愛用している。


[すずらん灯のある街角] 14×18cm 2005
麻紙ボードにアクリルガッシュ、ミリペン
ミステリーのカット2


前回に続き、カット作品。「氷柱」というタイトルの小説の冒頭部分の殺伐とした風景を描いたもの。こういう何でもない、普通は味気ないと思われるような風景を描くのが好きなのである。
鉄塔も好きである。
「好き」というより気になる、という感じであろうか。
無機的なものの持つ、妥協のない雰囲気に惹かれるのか、小さい頃からだだ広い原っぱに鉄塔がある景色を眺めるのは、嫌いではなかった。不思議な感覚・・・というより、やっぱり変なんだろうな、ワタシは。


多岐川恭著『氷柱』中扉カット 創元推理文庫 2000刊
水彩紙に筆ペン、鉛筆
ミステリーのカット


もう5年ほど前になるが、ミステリー小説の装画とカットをシリーズで描かせて貰う仕事をいただいた。カットは文中ではなく、中扉にタイトルと共に使われることになり、文庫だったのですべてモノクロで、ということだった。それで、全部で20枚ほどのカットを描きおろしたが、そのなかのひとつがこれ。
全部10cm角の正方形の枠のなかに描くということにし、向きは変えたりして変化をもたせた。小説のほうは、階段が事件の現場になっているので、メインに描いてみた。小説自体は昭和40年代ものの復刻なので、少々現代のミステリーより野暮ったいが、謎解き部分を含め、画に何を描くか描かないかなど、色々工夫して描きおろすのはなかなか面白かった。

多岐川恭著『的の男』より中扉カット(創元推理文庫、2000年刊)
筆ペン、墨
記憶の断片


個人的な想いを作品のなかに反映するかどうか、というのは勿論作家の自由だけれど、私の場合に限って言えば、やはりそれが反映していると言えるだろう。アラーキーが「私写真」とよく言うけれど、その言葉は私にも沁みる。何でもない風景でも、私情が絡むことによってかけがえのないものになる。それは個人的なモンダイなのだけれど、その想いの深さというのは、作品を見る側にやはり伝わるのではないかという気がする。

今私の掌のなかに、小さな硝子の破片とタイルの破片がある。
かつてあった建物の形見だ。
ガラクタというか殆ど芥にも近いものだけれど、私にとっては記憶の断片が今ここにあるような想いがする。
その想いを何とかまた画面に表現してみたい。


[雨後の町] 1993 A4キャンソン紙に顔彩、色鉛筆、パステル
かわいい平屋


東京は高層建築ばかりが増えているけれど、ときどきぽっかり穴の開いたような空間にひっそり残っている平屋の建物に出会うと、いとおしさに立ち止まってしまう。年月を経た木造の色の滋味、トタンや塩ビ板の修復パッチワーク部分の茶目っ気。がたぴしの硝子引き戸のなかのカーテン。傷んだ庇。アンバランスに高く延びたアンテナ。
どんなに襤褸でも、つい可愛く描いてやらずにはいられない気持ちになってしまう。否、「描いてやる」ではなく、こうした無言の建物たちにこちらの心が和まされ、「描かせてもらって」しまうのだ。

こうした名もない建築たちは、勿論「保存」のほの字も浮かばないまま、時が経てば解体されてゆく。その自らの滅びさえあるがまま受け入れていくような、そんな小さき存在が故に、いつも限りないいとおしさが余韻を曳く。


[かわいい平屋] 2006 14×18cm 個人蔵
麻紙ボードにジェッソ、アクリルガッシュ、パステル、ミリペン、色鉛筆
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