
日頃、なくなってゆく旧い建物たちを巡り歩いていると、何だかそれらに挽歌をささげているような気持にもなる。
建物を新しく造るときは、地鎮祭やら何やらがあるけれど、解体時には何もない。いとも呆気なく、あとかたもなくなってしまい、こちらがまるで幻を見ていたかのような感じさえする。
12年前の今日、震災でたくさんのひとのいのちが途切れた。その人びとのなきがらは葬られて既に形はないが、そのたましいはきっと何処かで誰かの心に受け継がれているのではなかろうか。
なくなってしまった町や建物にたましいがあるかと言えば、ないだろうと一笑に付されるのかもしれないが、それらの記憶を誰かが持ち続ける限り、何かが残ると思われてならない。リアルタイムで知らなくても、たとえ一葉の写真でも、それに何かを感ずることがあるならば。
[冬の町] 2004 F6
麻紙ボードに、ジェッソ、パステル、アクリルガッシュ、鉛筆
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