
陋巷画日記・8.
嘗て描いた景色、建物に今一度出会うのは不思議な感覚である。
2003年の個展の時に出品した「春の雪」という作品は、東日暮里のとある往来を描いたものだったが、先頃そのモチーフにした場所を通りがかったら、変わらずにそこがそのまま現れたので、寧ろびっくりしたのである。
此処は陋巷という言葉そのもののような、御覧のようなたたずまいで、そのすがれぶりはちょっと暗然としないでもないが、やはり未だこんな闇を孕んだ部分を抱いているのは、この町の懐の深さ故ではないか。
赤錆びた物干しが何とも言えずくすんだ紅い屋根とあいまって、いつ無くなっても不思議はないこの陋巷に、また暫し感慨を覚えたのである。
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紫陽花も咲きくちなしも香り始め、もうまもなく梅雨にはいるのでしょう。雨の季節はやっぱり続くと鬱陶しいものではあります。
でも雨の町は何となく寡黙で、繁華街もいつもの脳天気な喧噪が少し抑えられるのは好きなのです。
勿論下町や陋巷も、雨の似合うたたずまいは其処かしこに見られ、濡れたモルタルの壁や、一層錆の増す鉄の窓枠など、やっぱりそれらも惹かれるディテールです。あと、何故か私はアスファルトの濡れるときの匂い、乾いてゆくときのあの独特の感じも惹かれるのです。全くその理由は自分でも説明できないものなのですが。。。
今日の画は描き捨てたようになっていたもの。
雨の日は暗いのですが、妙にほの明るい空になったりする、そんな感じを描きたかったような。。。

昼間何でもなかった通りに灯りが灯ると、また別の世界が拡がってみえたりすることがあるだろう。踏み入れたことのない店にふといざなわれたり、みすぼらしい軒にほっと灯る玄関灯に、言いようのない安らぎを感じたりすることもある筈だ。
梅雨前のこのわずかな緑匂う季節、暮れどきは空気も何故かみずみずしい気がする。そして都会の真ん中でも、まだひっそりとしたなつかしい闇を残す一角があり、過去の幻影のようなそんな箇所に出会うと、心にあたたかい水のようなものが満ちてくる。
遠くはない日に一瞬にして失くなってしまうであろう建物たち、否もしかしたら今見ているのは遠い昔の幻なのかもしれないけれど、私はいつまでもその姿を心にしまい、いつか自分の四角い画面の中に、はかなくうつくしく描きあげるだけだ。
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