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N的画譚

N町在住、陋巷の名も無き建築物を描くneonによる、日日の作画帖です。
母の着物



亡くなった母はきものの似合うひとだった。
和箪笥には何枚も、生前大事にしていた着物やら帯やらがはいっていて、その中から何枚か、片づけながら私のところに持ち帰ってきた。

背格好がほぼ同じだったので、母の着物は直さずそのまま私も着ることができる。
紺地に菊模様の紬は、私もそろそろ着てもおかしくない年齢だろう。
もうひとつの、ほとんど白地にもみえるが、淡く灰緑がかった訪問着は、ちいさな絞り染めの線で、椿の模様がいちめんに描かれている。芯の部分が優しい桃色で、こんな色の半襟に合わせたら好いかも知れない。母の好きだった、珊瑚の薔薇のちいさな帯留めかざりと一緒に。
秋になったら、袖を通してみようかと思う。

(今回は、画は夏休みといたしました。)
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角帽煙突



久しぶりに描き下ろしました、陋巷画日記・9。

西日暮里から町屋にかけての京成沿線(というかガード下)は、通好み?の渋い物件がかなりある。が、このところ京成がこのガード下の商店や住居を一掃しかかっており、空っぽ状態になりつつあるところも多い。
その沿線で出会った建物がこれ。こういう煙突は好きでたまらない。四角い帽子を被っているように見え、ひそかに「角帽煙突」とN的には呼んでいるのである。何だか格好いい。
おまけにこの建物は波形錆トタンに覆われ、それでも矍鑠としてあたりに存在感を振りまいていて、心底惚れました、脱帽。
細くて靭い線
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最近は、ペン画を除いては線だけの作品は少ない。
でも私にとって線、というものは尽きない魅力にあふれたもの。
そして私の好きな線は、細くて靭い線。
だが最近は、かつてよく描いた、ぴんと張りつめたものよりもう少し、のらくらした線を描くようになってきた。トシのせいもあるかな。
でも、つよくても遊びのある線というのは魅力だ。
もっともっと、味わいのある、自由な好い線を描けるようになりたい。

この画は90年代のもの。
パステルで塗り込めた黒バックに描いたので、モニターでは暗めに見えるが実物はもう少し明るい。
これはこれで、自分の描きたい線を懸命に描いている感じがする。
モチーフは、文京区の小石川植物園にある、内田祥三設計の昭和初期の建物。なかなかモダンで素敵な時計塔のある建物である。
月夜の階段



私が生まれ育った横浜の町は、坂と崖と谷間の町で、何処へ行くにも階段を必ず上り下りする毎日だった。夏などはこんな地形を恨んだものだったが、階段をのぼりきると急に視界がひらけ、風が立ち、汗を吹き飛ばすような気分にしてくれることもあった。夜など、ぽっかり月が上がっているのが不意に見えたり。そんな意味では、どんな地形の町に育つかは人の心の有り様にも影響するのだと思う。

階段を上りきったところに必ず車止めがあり、裸電球に照らされていることもあった。そんな何でもない日常の風景が、ときどき画のモチーフとなって、紙の上にたち現れる。
バラック商店



ただいまです。
戻って参りました。またどうぞよろしくお願いいたします。

90年代に描いていた変な作品です。
昔住んでいた横浜の小さな商店街に、何となくこんな感じのごちゃごちゃした店がありました。色々なものが置いてあって、店構えはバラックのようですが、その暗がりの奥に小さな稲荷の祠があったり。。。
これはその回想の画とも言えましょうか。
しばし
今日の午後、かねてより癌闘病中であった母が世を去りました。
父に続いて母も同じ年に見送ることになりました。
しばしブログはお休みいたします。
でもすべて済みましたらまた戻って参ります。
どうかまたその折はよろしくお願いいたします。
三田の川沿い工場




三田にある川べりに、昭和の匂い残る一角が時代錯誤のようにあり、そこで見つけた町工場のたたずまいが、何だか惹かれる感じだったのでした。川沿いというのは何故か味わいある建物が多いのです。
クロッキー帳にそれを何度も私流の崩し方で試し描きし、最終的にかたちをつくって、麻紙ボードに制作します。この完成作はうまくいけば秋に展覧会で皆様のお目にかけることができるやもしれません。
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