
昨日、岩波ホールで「ヒロシマ*ナガサキ」を観てきた。
中学生の長男に見せておきたいと思ったのがきっかけ。全編ドキュメンタリーの形式だというので、それはいいと思ったのだ。
私が小学生の頃、家に「少年朝日年鑑」の別冊号で、太平洋戦争と、公害病である水俣病を特集したものがあった。「ガラスのうさぎ」や「はだしのゲン」も心に響いたが、この別冊のなかの写真には、何か子供心にぐうの音も出ない、言葉や感傷や憐憫を超えた迫力を感じたのだった。事実の重さというものを把握するのに、写真というものは何と力を発揮するものか。
映画は淡々と、或いはたたみかけるように被爆者の証言を綴り、それを裏打ちするように映像が入る。細かい感想はここでは書かないが、どの被爆者もそれぞれ非常に印象深かった。息子は終わっても口数は少なかったが、それでもいいと思う。これから、必ずこの国の行く末を考える時にぶち当たるし、その時にこの市井の人びとの言葉を傷を、想い出して貰えればと思う。映画はまだ9月も上映されますし、被爆者のかたのお話もあるようです。岩波ホールHP(上記リンク)を御覧下さい。
今回出した画は、唯一私が戦争廃墟をぼんやりと意識して描いたもの。50号の大きいモノで、とあるグループ展に招待されて出品した作で、もう4年ほど前か。あまり好い写真ではありませんが、乞う御容赦。

千葉県立美術館でやっている「ユトリロ展」に行ってきた。
東京から一時間の距離はちょっと遠かったが、京葉線からの眺めも初めて見るもので、悪くなかった。
今まで印刷物で見ていたユトリロの画にはそう心惹かれなかったのだが、一度銀座の画廊でホンモノを見てしまったら、ああこれはすごいと感動して、今回80点も出ているというのでどうしても観ておきたくなったのだ。
なかなかゆったりとしたスペースで、余裕をもった展示の仕方だったので、ゆっくり観ることができた。作品はやはり初期のものが特によくて、陰鬱なグレーの空に漆喰の白い建物が静謐な存在感をもって並ぶ。
知らなかったのだが、ユトリロは若い頃からアル中で、家庭環境も酷かったのである。そして町角に画架を立てて描いているのだとばかり思っていたのに、巷の絵葉書写真を与えられ、金稼ぎのために母親に監禁されながらそれをもとに描かされたのだという。驚いた。
実際に見ていない建物たちに、くぐもった、しかし見る者を惹きつけるピュアな表情を与え得たのは、やはり天賦の才能なのだろうか。。。
で、今日の画はユトリロとは関係ない(苦笑)ワタシの過去の駄作であります。
ちょっとアヤシゲな場末の界隈をミドリ色に描いてみたかった、4~5年前の作品です。

「鉄の華」のhenroninさんが、拙ブログの記事(「角帽煙突」)をきっかけに西日暮里方面にお出かけになったというので、そういえばと想い出した作品があった。これも京成線のガード下をモチーフにしたものである。
ガード下に嵌るように店舗や住宅が並んでいて、純粋にその造形だけを眺めるととても味わい深いものがあるし、それを自分なりに描いてみたかった。陋巷画日記ふうに描くのもいいが、こんなふうにややモダン味?を持たせて描きたいこともある。
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