
さて「タテモノのカタチ」展、予告編はまだまだ続きます。
てなわけで(前記事参照)、思い入れある遊廓建築の画をどうしても描きたかったのだが、いざとなるとなかなか構図も決まらず、とにかく川縁から見た全体を描くということは朧気ながら頭のなかにあったが、その先に進まない。
当初、風のなかに滅びてしまいそうな感じ、というのが浮かんだが、そこ止まり。月日ばかりが経ってしまった。その間親の死がありそれにまつわる雑事があり、画に向かえない時間が多く過ぎ、或る日ふと僅かな時間に、ネタ帳であるクロッキー帳をめくったとき、そうだこの作品はもっと私のなかにある、この建物に寄せる夢のような部分、それをやさしく儚い色遣いで描いたら、と思ったら霧が晴れるようにイメージが浮かんだ。そして、このところ甘い素材は避けていたようなところがあったが、この作品には櫻の花片を散らしてみたくなった。
建物自体が大変特色ある、ステンドグラスの丸窓のついたものであったので、今回はあまりその形を崩さず、具象に近いものにした。この画像のような縦長の窓もそのまま描いてみたのである。
(また続く)

「タテモノのカタチ」展お知らせを、拙HP、newsのほうにもアップしましたので、どうぞ覗いて下さいませ。
さて、予告編2。引き続き「夢幻譚」の部分スキャン画像と共に。。。
この画を描き上げる前に、とんぼ返りながらこの建物のある町を訪れる機会があったのだが、往時の建物の減り具合とともに、悲しい想いをしたことがあった。詳しく書くのは憚られるが、この町に住んでいるひとたちの心を踏みにじるような、そして心を閉ざさせてしまうような、礼をしらない訪問者(主に団体で来るそうだ)が増えたのだという。話を聞いていて、本当に悲しく思った。どんな調査目的があるにせよ、また興味本位で行くにせよ、この町のデリケートさを理解してから、住む人への配慮をもって行くなら行って欲しいと心から思う。
長くなるが、木村聡の「赤線跡を歩く」の前書きに、
これは読者の皆様へのお願いですが、もし街を訪ねたとしても、
○無遠慮にカメラを向けたり、二、三人で出かけて写真のお宅の前
で立ち話をしたり、指さしたりすることは絶対に避けて下さい。
○どうか一人でひっそりと出かけて、何かを感じて下さい。
○さっと通り過ぎて、風のように立ち去って下さい。
とあるのだが、私はこの文章故に、彼の仕事に対しては信頼がおけると今でも思っている。嘗て遊廓、赤線、青線などと呼ばれていた町を訪れる者の、これは最低限の礼儀であろう。
だから私も、もうこのブログにも、この町を喧伝するような内容は一切書かないつもりでいる。だが、私にとってこの町は、20年前に出会ってからずっと忘れがたい記憶を刻んでくれた町であり、画のモチーフとしてはおそらく一生顕ち現れてくるだろう。現実の町は往時の姿を消しつつあるが、その過去の幻影だけはずっと心にしまっておきたいと思っている。

前回お知らせした「タテモノのカタチ」展。
出品予定の作品より。。。
この作品のみ、既にタイトルが付いている。・・・「夢幻譚」。
画像は部分的にスキャンしたもの。
これを描くまでには(否、描きだすまでには)随分と時間がかかった。
ずっと描きたいと思っていたのだが、確とした画のイメージがなかなかできなかったのだ。
1年以上そうやって過ぎてしまい、昨年から今年にかけては、制作画を描く余裕もなかなか無いままだった。
4月になって、ギャラリーツープラスさんから、「展覧会企画趣意書在中」と朱書してある封書が届いた。中には10月の「タテモノのカタチ展」への出品依頼書」がはいっていた。こういうものを戴くのは初めてだった。企画展に参加できるできるとは、こういうことなんだなとうれしくて有り難くて、この封書はずっと見えるところに飾るように置いておいた。勿論同時に不安もあった。病人を抱えていたし、それに他の参加メンバーの方の作品と並べて恥ずかしくない作品が描けるのかどうか。
でもどうしても、描きたかった。
そしてあの建物を描いた作品を、どうしても出したいと思ったのだった。(次回へつづく)

展示のお知らせです。
10/15(月)~20(土)、
銀座1-14-15、ギャラリーツープラスにて、「タテモノのカタチ」という企画展に私も参加させていただく予定です。是非来月のスケジュール帳に書き加えて下さいませ。
取り急ぎ今日はお知らせだけ出しますが、何回かに分けてブログ記事にしたいと思っております。
どうぞよろしくお願い致します。
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