
職人、が好きである。
そして職人の人生というものが好きである。というより、もうそれは殆ど届かない憧れかもしれない。
毎日毎日寡黙に同じ事を繰り返している。
かのようにも見える。がしかし、職人にとっては同じではない筈だ。
毎日の作業のなかに精進の心があり、研鑽があり、僅かずつでもそこに深化があり、発見すらあるのだと思う。つまり、日々新しく向き合っているのだと思う。それを喜びとしている。でなければ続かない。
手を使う仕事というのは、一見そうでもないようで実は、精神的な世界と深く関わっていると感じる。
老練な職人は頭の中で考えるより感覚で動く。
感覚を磨くことが全てであるのかもしれない。
葛藤や失敗も己をみつめることで収め、そうやって日々孤と向き合い、個を超えてゆく。
手の中から生まれてくるものは、世の流れや風評には縁がない。そして揺るがない。
簡素で地味で、淡々とした人生。それで好いと思っている。
それが好いと思っている。(勿論みんなが皆ではないだろうけどね)
坂口安吾が「文を書くなら、その一文を命と引き替えても書きたいか」というような事をどこかに書いていたが、まさかそんなところまでは行かなくとも、覚悟のようなもの、どうしてもどうしても作りたいかどうかという心、そう聞かれたときに「どうしても作りたい、ただただ表現したい」という心、
それを持っているかどうか。それを為すために、その創意工夫のために一生をついやすかどうか。
・・・でも、さういふものに、ワタシもなりたい。(無理だけどね)
(*画は過去の筆すさび。)
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