N的画譚

N町在住、陋巷の名も無き建築物を描くneonによる、日日の作画帖です。
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小村雪岱頌
小村雪岱展311 小村雪岱 鏡花本装幀318


只今 ちょっと不馴れな?イラストの仕事をしておりまして、拙画のほうはお休み。良い機会なので、一度書きたかった、大好きな画家 小村雪岱(こむら せったい、1887-1940)について。。。



雪岱は、下村観山、松岡映丘など日本画の巨匠に師事した後、主に装幀・挿画の分野で足跡を残したと言える画家で、私は偶然大学生の頃、青山のハナエモリビルB1にあった骨董屋で、彼の肉筆画を観て以来、すっかり虜になってしまったのであった。
極細い筆書きの線のみずみずしさといったらない。そしてあえかな中にも何処か芯のつよさの見える江戸の女を描いたら、敵う者なしといった感じ。そして特に新聞小説の挿絵にみる黒白の配分の感覚の斬新でモダンなこと。密かに「日本のビアズリー」と呼びたいくらいである。(写真上左は、1987年リッカー美術館での展示図録。下は新聞小説「おせん」の挿絵コピー、昭和8年)

小村雪岱 おせん315


泉鏡花に気に入られ、装幀を任された本は余りにも美しく(写真一番上右、鏡花本見返し)、本当は欲しくて仕方ないが、古本屋でもとても買える値段ではない。私が学生だった当時は作品集も新しい版のものがなく、また特に好きな新聞小説の挿絵は観る機会もない。そこでまだ閑があった学生時代、それなら原本である新聞をみれば好いのだと思い、大学の図書館に所蔵のある読売新聞の昭和9年~10年にかけてを、マイクロフィルムで見せて貰うことにしたのである。

小村雪岱 お傳地獄316


非常な時間をかけてマイクロフィルムをまわしながら、特に気に入った挿絵のコピーをとっていった。今でも大事にファイルしてあるのだが、それだけでは飽きたらず、それをもとにして年賀状のデザインなんかにもしてみていたのであった。(プリントごっこ使用。文字は絵双紙か何かの文字を組み合わせて描いたと思う。-あけましておめでとうござんす 本ねんもよろしく-)

小村雪岱 年賀状312


また、当時属していた美術部の部誌に、こんな記事まで書いていた(笑)。まだとってある。。。

小村雪岱 コラム313



雪岱は画家であるが同時に非常にデザイン感覚にも優れていた人であったと思う。現代ではなかなかこういう画を描ける人がいない気がする。埼玉県立美術館では所蔵の作品なども時々展示されるので、是非機会があったら御覧下さい。
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横文字を添える
穏やかな午後310


「モノクロ画」というカテゴリでこのところアップしておりますが、今回も引き続き。
「陋巷画日記」シリーズよりも太い線、単純な形、抽象味をつよく、という意識を以て描いてみている。
と言うか、これ自体は本作品の下書きまたは下図をラフ描きするような気持ちで描いている。

形や線を整理していくと、何故か添える文字はちょっと横文字にしてみたくなったり。。。
シンプルな洋モノの絵本のようなのも、たまには好いかな?
みずたまり
水たまりの路地309




雨上がりのみずたまり。

そんなものすら、今はなつかしい響きを纏う。

土の地面がすくなくなって、ぬかるみに足を汚すことも減ったけれど、
幼い頃しゃがんで覗き込んだ、あの深いふかい泥水色のなかの逆さの世界は、
遠い記憶のなかにだけ、ゆらゆらと息づいている。
百鼠(ひゃくねず)
百鼠308


ここのところずっと、もう少し線だけでも耐えうる画、またもう少し抽象度を上げた画をつくりたい欲求がふつふつと心の中に湧いている。(あ、以前も言ってました?・・・ですよね)試行錯誤の時間がワタシはいつも長いから、まあそれも好い時間なのであるが、やはりなにかとっかかりが見つかるに越したことはない。

ところで、着物関係の本を読んでいて「百鼠」という言葉を知った。
「四十八茶、百鼠」というのだそうだが、江戸時代に生まれた言葉で、茶と鼠は色のことである。
茶色にも鼠色にも、それだけバリエーションがあるという意味。
江戸時代後期、奢侈禁止令によって華美な色彩の装いが出来なくなったとき、許可されていたこのふた色を逆手にとって、これだけのバリエーションがあるんですぜお上、と迎え撃ったわけで、さすが江戸の町人はスバラシイ。

ちなみにどんな色の多様さかというと、
こんな感じ
名前がまた惚れ惚れするほどうつくしい。色合いも抑えられた粋の様相、というかまあ流石であります。

ワタシも現在画を描くときに一番多用するのがグレー色なのであるが、主に下塗りに使い、そのまま塗り重ねて基本色にもなっている。他の色を使うときも、ほんの少しグレーを混ぜておくと、渋みのある色になる。ワタシの好む陋巷の家々は、意外とそういう色合いが合うのだ。

色数を抑えながらもグレーの諧調にバリエーションを持たせる、
好いなあそんな画をつくりたい。
抽象度=やっぱり洗練となる。
ワタシのバアイは何処かに差し色をぽちっと注したくなるが。

そしてまだまだ試行の日々はつづく。。。
ユリ・コレクション
yuri 005a


白くて香りのする花が好きなのだけれど、この季節、すずらん、くちなし、百合とそれに当てはまるのが多いのです。
なかでも百合の花のかたちは画的にも惹かれるものがあります。

夏目漱石の小説「夢十夜」の冒頭第一夜に、印象的に百合の花が登場しますが、このお話も昔からとても好きでした。「それから」にも百合の花が出てきますので、どうやら漱石もこの花には特別な想いがあったと思われます。
近年、森田芳光監督で「それから」が映画化されましたが、このときヒロインの着ていた百合の花の浴衣も、色々なものを暗示していてとても好かったのです。以来、百合の柄のきものは遠い憧れでした。

そうこうしていたら今年出会ってしまったのです、長年の恋人のようなきもの。
夏の絽の着物で、御覧のような透け感があり、破れ麻の葉文様とあいまってうつくしい。
地色は紫ですが戦前の染め色なのでしょう、どぎつさのない、しっくりした色。
図柄としては大胆かもしれませんが、着物だとそれがあまり気になりません。
で、たまらず手元にやってまいりました。。。
絽の着物は昔は高級品だったのですが、現在アンティークとなったものは、信じられない安さで出ています。

絽の着物は7~8月の盛夏にしか着ませんが、ようやく何とか着付けも独りで出来るようになったので、今から袖を通すのが楽しみです。
嘗てスケッチした百合の画を置いてみました。
タイトルの「ユリ・コレクション」は、あがた森魚の、珍しくあかるい大好きな曲。イントロの軽やかなフルートの音色が、梅雨の鬱陶しさも飛ばしてくれるような素敵な一曲です。(ん~多分ご存知の方は少ないでしょうが。。。)


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ちょいと葭が風に揺れ
ちょいと葦簀が風に揺れ307


葭(よしず)売りというのは今でもあるのだろうか。

私の幼い頃は、車ではあったけれど「よしず~」の売り声とともに町内にやって来たものだった。
この頃ではすっかり少なくなったが、たまに掛かっている家を見かけると、何とも好い風情だと思ってしまう。
京都や金沢の花街に行けば、これがずらっと並んだ風景を見ることができるけれど、都内ではなかなかそこまでの景色にはお目にかかれない。

今日描いた家は、台東区の鳥越あたりで出会った路地裏のひっそりした一軒。
窓と出入り口にかかっていて、そしてそこを楓の若葉がちょうど覆って、枯淡な感じがあった。
陽当たりは余り良くない、うらぶれたところであるけれど、木綿の着物を着たおばあちゃんが出てきそうな、ささやかな生活の匂いのする一角だった。
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