
理由がどうのということよりも、見た途端ぐうの音も出ないような、
そんな、ハラワタにずいと響くような建物と出会うことがある。
それこそがおそらく、ワタシが陋巷画日記なるものを飽きずに描いている
根本の原動力だろう。
金松園という、看板の文字も錆と風化で剥げかかった、
おそらくは嘗て中華屋だったと思われるこの建物も、そのひとつ。
荒川区の街道筋にあったもの。今はどうであろうか。
この堂々たるやさぐれ方には、どうにもこうにも言葉はあてはまらない。
そして、あまっちょろいワタシの感傷など、あえなく粉々にしてしまう、
そんな力を持った廃屋なのであった。
*しばらく夏休みのため、更新はお休みです。
8月にまた再開の予定です。
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ぽち袋を集めるようになってどのくらいになろうか。もう20年来かもしれない。とにかくこの小さな世界が大好きだ。今の季節だったら上のような涼しげなもの。うちわの柄の白抜きのところに、相手の名前や「御礼」などと書いたら一層好いかも。

鹿の子柄や、縞柄など芸事っぽい柄も随分ある。習い事のお師匠さんや友人、芝居のチケットを買っておいていただいた時など、こんなのにお札を入れてみたい。。。(未だにそういう機会はないけど)粋な柄って鮮やかで潔い。


めっぽうヨワイのが桜柄。着物でもそうですが。華やかだけど、夜桜のなんて渋いものある。隣はお馴染み干支のものなどお正月用。木版手刷りのものがやっぱり好い。

最後は少し変わり種。でもとても気に入っているもの。
上のかたばみ2種は、銀座の平つかという店のもの。すっきり、でも大胆な素敵なデザイン。季節を問わず使えるし、珍しくて喜ばれる。真ん中は水引付。これはfranc francという洋ものインテリア雑貨店が出している。下段は紫のはやはり木版手刷り。デザインと色の調子の見事さがたまらない。左ふたつはそれぞれ「十六夜包み」「門出」というタイトルが付いた、確か若いデザイナーの作品だったと思う(忘れたのであった。。。)。なかなか斬新で和紙の薄さも好い。
いやはやこうしてみると随分愉しいもの。皆様のお気に入りはどれでしょう。お答え下さった方には中に金子を入れてもれなく進呈・・・したいけれど、先ずは気持ちだけで。悪しからず。

根津での暮らしも5年が経とうとしている。
昨年両親が亡くなり、私が生まれ育った本牧の家も既に無く、私にとっての実質的なふるさとは消滅してしまったのだが、何処かへ出かけてこの根津の町に帰ってくると、何だかほっとする。
私のなかではもうこの町がふるさとになってきているのかもしれない。
そして、死ぬまでずっとこの町にいたいと思っている。
顔見知りも随分増えた。
根津は小さな個人商店も多いのだが、皆構えは小さくとも皆矜持を持ってやっている。決してお高くとまっているわけではなく、皆気さくで落語が好きそうな(落語に登場しそうな人もいる)感じ、とでも言うか。そこがとても好いところである。
その中でも私が大好きな人びとがいて、「鳥勝」のご夫婦がそれ。
「鳥勝」は嘗て根津の象徴でもあった、例の「曙ハウス」のはす向かいとも言える場所にあって、お話を聞かせて貰ったこともある、鶏肉専門店である。ご主人は何処ぞの有名店で修行したらしいが、いたって気さくな人柄でいつも焼き鳥を焼いている。これがまたとても美味しい。奥さんは出過ぎない、やさしいあったかい人で、いかにもおふたり下町のおしどり夫婦という感じ。
ところが最近焼き鳥コーナーが無人になっていて、ご主人の姿がずっと見えなかった。心配だったが、ついこの間、また復活していて、心配してたんですよと言ったら案の定ご主人がひと月入院されていたのだそうだ。まだそうお年でもなく、働き盛りという感じなのに。原因がわからず数値がよくなったので、帰ってきちゃったよーとご主人が笑う。うれしくなって焼き鳥を色々買い、「またよろしくね~」の奥さんの声を背中に、ほっとしていたのも束の間、ほんの一週間足らずでまた焼き鳥ケースが空になっており、「検査入院のためしばらく焼き鳥お休みします」の張り紙が。奥さんひとりで精肉のほうだけを商っていた。
「また具合悪くなっちゃったのよ。別に無理したわけでもないんだけどねえ。原因がわからないんだもの、どうしたらいいのかこっちだってどうしようもないのよ。」「お父さんいないと私だけじゃ何にもできないのよ」・・・・・。
奥さんひとりで看護もお店もではどんなにか大変だろう。原因不明というのもどんなにか焦れることだろう。胸が痛くなるほどよくわかる。
権威あるT大病院の先生方、一刻も早くご主人の病気を解明して、最高の治療をして治してあげて下さい。そして早くまた元気にお店で焼き鳥を焼けるように、奥さんの顔からくぐもりを払ってあげて下さい。お願いします。
画は久しぶりに在りし日の曙ハウス。鳥勝さんからは、多分こんなふうに見えていただろう。
*蛇足のお願い:もしこの辺りを通ることがあっても、この記事のことは黙って居て下さいね。
neonと言ってもわかりませんし、ただ単に陰ながら祈っているだけですから。。。
そしてもし焼き鳥が復活していたら、その時は是非是非ご賞味下さい!旨いのよ~。

木村荘八の「東京今昔帖」(昭29)を読んでいるが、趣深い内容である。
所々入っている挿画は言わずもがな。エッセイ集であるが、東京のいまむかしの建物、風俗、気質、文化といったものの変遷を語って読み飽きない。
珍しいことに、巻頭に幾葉かの町の写真がある。その説明のなかに「廂合」という言葉があり、(しやあひ)とあった。
初めて出会う言葉だったが、字面で意味はわかる。添えられた写真は湯島天神下付近の家々。木造の二階家の張り出した物干し場が隣の家のそれと、まさにくっつき合うように(否 本当にくっついているようにも見える)造られている。向こう三軒両隣とはよく言ったものだ。まさにそんな、隣近所との接触の多い、互いに助け合っていたであろう暮らしが目に浮かぶ。勿論好いことだけではなかったろうが、今よりはずっとそうしたものが緊密だった時代。
泉鏡花の作品中ではこの言葉は「ひあはひ」というルビが振られているようだが、どちらの読み方にせよ既に現代では死語である。
ワタシの乏しい町歩きのなかで、かすかにこの言葉を喚起させるにもっとも近いのは、今は無き勝鬨の長屋群かもしれない。木村荘八の示したものとは、厳密には異なるかもしれないが、庇や軒の並びの近さは此処が一番(見た中では)接近していた。
で、無くなってしまったこの言葉とこの町のたたずまいを想いながら、画にしてみた。
幻と化した風景には、合掌するしかできないのだけれど。

イラストの仕事が無事終わり、9月に刊行予定です。文庫本のカット15枚ほどですが、普段めったに描かない人物イラストなので、上手くいくかどうか・・・と思いましたが、準備期間がたっぷりあったため、慌てないで描けました。ええ~こんなん描くの?という感じですが、また本が出来ましたらご報告致します。
で、久々陋巷画日記。梅雨時にふさわしい湿り気たっぷり(笑)の路地。。。
中小規模の商店街にはよくあるプラ花の飾り。あの安っぽい色合いが、何となく好い。
こじゃれたナントカストリートには絶対アリマセン。
歳末になって、餅花っぽい玉飾りに一新したりすると、それはそれは好い感じ。
今の季節は七夕っぽい飾りになっているとぐーです。
少々寂れた商店街というのは、そこから入る細道なども非常に惹かれるもの。
ついつい右に左に、丁寧に辿ってみたくなるのです。
ここは舗装もされていない路地で、薄く緑を刷毛で塗ったように苔が生え、ほの暗さが何とも印象深い処でした。
プラ花の徒花的な虚のあかるさと、しっとり湿った薄暗い路地、
そんなものを孕んでいる町は、やっぱり懐深い気がするのです。
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