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N的画譚

N町在住、陋巷の名も無き建築物を描くneonによる、日日の作画帖です。
画墨と自家製ペンで描いてみた 2














またまた懲りずに描いてみました。

空など、ぼかした部分は普通の筆を使っています。

もう夏も終わりですねー。





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画墨と手製ペンで描いてみた













このところ、と言うかずっと、線画を描くときの線に、もっとバリエーションが出ないかなと思って色々試してはいた。ミリペンも好きなのだが、ベタ塗りの部分にもっと濃さが欲しいし、均一な線が描ける良さもあるが、味わいという面ではちょっと物足りないと思うこともあった。

で、結局紙を少し上質な水彩紙に変え、絵の具は昔使っていた画墨、そして筆は自家製ペンにしてみた。自家製ペンと言っても、ただ単に、宅配寿司に付いてきた普通よりちょっとよさげな割り箸(竹っぽいが、真偽は不明)をカッターで綺麗に削ってみただけのもの。細い線も描けるように先端はごくごく細く尖らせた。
画墨のほうは墨汁で、かなーり濃いのが気に入っている。しかし難点は乾きが遅いこと。気を付けないと、描いている途次で手で擦って汚してしまうこと多々。ほんの少し茶色味を帯びたものを使っている。

で、こんな感じになったのだが、いつものペン画とはまた少々違った趣かと。
しかし一発描きなので、思い切った好い線を描くのには練習が要るなぁ。
たまにこんな感じのもアップしていきますのでよろしくお願いします。
渋すぎるけど













渋すぎる物件。
誰も立ち止まったりしないし、こんな建物を立ち止まって見ている方がアヤシイ。

シャッターの降りたのもどのくらい前なのか、
何の店舗だったのか、はたまた倉庫か、
全く分からないが随分とこのまま時間が経過したようだ。

布テント張りになっていた部分が悉く剥がれて、今残っているのは
その錆びた骨組みだけ。
でも、この剥き出した細い鉄骨がワタシを立ち止まらせてしまう。
そして、何の装飾もない変哲の無さに却って、
シンプルな力強い感動を覚えてしまい画面に描いてしまうワタシは
やっぱり何処かオカシイのでしょう。
秋は個展・・・












朝夕は凌ぎやすくて、蝉の声にもつくつくほうしが混じるようになり、季節の移ろいを感じる・・・
てことは、秋ももうすぐそこ、で、11月の個展(11/7~12、@銀座1丁目ギャラリーツープラス)の準備も具体的になってこなくてはならない時期になってきた、ということだ。

先日、打ち合わせのためツープラスにお邪魔して、大体のことを確認させて頂いた。

作品点数は、最初はどうなるかと思ったがまあまあ溜まってきて、もう少し手を入れればメインは仕上がるだろうという目処もほぼついてきた。
ツープラスさんでは、新作の個展を企画でやらせて頂くのは初めてと言っていいと思う。声をかけて頂いた2006年のときは、Nomad展の直後急だったので、そのための準備は何もない、在庫展だったから。今回は今年当初にお話を頂いたので、時間としては理想的な長さがあった筈だが、前半はnidoコラボにかかっていたため、余裕というようなものはなく、やっぱり年2回の展示でぱつぱつ。時間の経つのが早くて早くて。。。でも、久しぶりの多少は大きな作品(といっても20F程度)がある個展は嬉しいし、緊張感もある。できればこのスタンスで、毎年持って行けたらいいなとも思う。

あ、画像の作品は、以前一度描いてブログにもアップしたけれど、屋根の形や配置などがどうかなと思えてきて、もう一度新たに描きなおしたもの。構図や色は珍しくこれでいいと思えるものがあったので、ほぼ前の通り。こういうシンプルなものは、形が決まれば描きやすく、飽きない。

ひとみ看板 <番外編>












お久しぶり看板シリーズ、今回は番外編です。

何処が番外って、屋号が・・・
「ひとみで飲もう」・・・
ですよ!

何で「ひとみ」にしなかったのかよく判らないのですがねー。
でも何か笑えます。
お店の人は電話を受けるときは「ハイ、ひとみで飲もうです」
常連のオジサン達は「よーし今日もひとみで飲もうで飲もう」

・・・・・・・・

いや・・・面白いです。

都内某所にて、korotyanさんが採取、送って下さいました。
いやー、めったにない物件、ほんとにありがとうございます!!

よ~し今夜も「ひとみで飲もう」で飲もう!(爆)

引き続き、「ひとみ」「neon」の屋号の看板、静かに(笑)募集中です~。


宝石のごとく












町の中に今はひっそりと埋もれている、旧カフェー建築とも言うべき、小さな家を描いてみた。

都内ではめっきり減ったし、もっと実際は傷んで荒れているけれど、部分部分に美しいタイル装飾をはじめとする意匠が残っていてはっとする。
二階にはモルタルのバルコニーが付いていて、普通の家とはやはり異なる佇まいである。

こういう建物のデザイン、設計に関する研究というのはなされたことがあるのだろうか。
これは規模としては小さいものだけれど、他の地方都市などに行けば、かなり大規模でデコラティブで、凝りに凝った素晴らしい意匠のものもあり、一体こういう建築はいつ頃どういう人たちがデザインして、どういう経緯で造られたのだろうという疑問がいつでも湧く。西洋館ふう、またアールデコふう、和洋折衷、・・・不可思議で、でも浪漫溢れるこれらの建物たち。しかし今までその疑問を解いてくれるような話も書籍にもなかなか出会うことがない。

おそらく娼館であることで、建物としての評価などという範疇から外れてきたのではないだろうか。
建築に関しては全くの素人なので、もしご存知の方詳しい方は、ご教示いただきたいと思う。

ただただワタシは、これからもこの埋もれた宝石を掘り当てては画面に甦らせたいと思うだけではあるが。

追:本当は画の色はもう少し全体に綺麗な色なのですが、何度かスキャニングを試してもうまくいきませんでした。タイル円柱のミントグリーンの中にある、ピンクの豆タイルももっと実際では可愛らしい色です。11月の個展で実物を是非御覧頂きますようお願いします。
ガタピシアパート ほぼ(多分)仕上がり













何度か制作途中をアップしていました「ガタピシアパート」、大体こんな感じで好いかなというところに来ました。

紅味をだいぶ抑えて、モルタルの古びた感じを出すようにしましたが、どうでしょうか。
全体のメリハリに気を配ったつもりですが、少し寝かせておいてまた忘れた頃に様子を見たいと思っています。

結構描くのは楽しかったので、アパートメントをシリーズ化して展示をやっても面白いなぁなどと、埒もないことを考えたりしてしまいます。石内都さんの写真集のようには行かないでしょうけど。
「アパートメント」という響きも文字も何か好きです。
「ガタピシ」とか「ヘンテコ」とか「アナボコ」とか、そういう言葉も。
まあ、展示のほうはあまり本気にしないで下さいね。では~。
感傷旅景 3













そこは廃れた小さな劇場で、夜になって灯りが点っても大したひと気もなく、けばけばした色のネオンも却って寂しさを掻き立てるようなところがあった。おそらく次回この町に来るときには、建物ごと無くなってしまっているだろう。建物が無くなると、人びとの記憶からも失われていくのは世の常だ。

そしてそういう町を訪ねそういう建物に出会い、自分の画のなかに再生させる。
しかし私の場合必ずしも事実通りの再生でもなく、勿論記録でもない。そして限りない哀惜の念はあるけれど、その建物の保存を声高に叫ぶものでもない。
私が惹かれるのは大体において、保存運動が起きるような建物ではなく、逆に町のなかでひっそりと隠れるように息づいていて、時には疎外されるような憂き目に遭っているものもある。無くなるときはあっけなく、更地ともなればもう誰も振り向いたり立ち止まったりすることもない。

だが、もう実際に見ることができなくなった建物を想うとき、何故だか私の中で初めて顕ちあがるものがある。実体を持たなくなったことで実景から解き放たれ、自分の中で再構築できる自由さのようなものが生まれるのだろうか。気恥ずかしい言葉を使えば、滅ぶことで永遠に回想できるのである。だからといって勿論滅びの美学などと言う気はない。滅び自体が美しいとは思わないから。ただ、自分の中の回想では、その建物は色々な意味に於いて魅力的で、それらを少しでも魅力的に描くためには、自分のちっぽけな残りの全人生を費やしても、何ら後悔することはないだろう。
感傷旅景 2












空の何処かでくぐもったような遠雷の音が微かに聞こえる、夏になりきらない鬱陶しい曇天の午前だったが、小さな駅から降りて歩いていくと細い疎水が見え、その辺り一帯はさわさわと涼しい風が通り抜けていた。大して行かないうちに、あまりにひっそりとそれは埋もれるように佇んでいて、思わず見過ごしそうになったのだったが、よく見ればやはり在りし日のモダンな意匠をそこ此処に遺していて、童女の唄うやさしげな旋律のようなものを思い浮かべた。

玄関に掲げられているアパートメントの名称も、もうほとんど読み取ることのできないほど剥落してしまっているが、観音扉の上部には紅と透明の色硝子が嵌め込まれ、見たいと思っていた丸窓にも、美しいアールデコの意匠があった。

人の気配はあるがあくまでも閑かで、2階の物干し場のあたりで回っているらしい洗濯機の音だけが聞こえて来る。じっと佇んでいると何故か、何処ぞの教会の中にいるような気さえするのだ。
春には入り口付近に、驚くほど濃艶な色の枝垂れ桜が咲くのだという。今は葉が生い茂って緑の影を落としており、その姿は見られなかったが、それでも充分満たされる眺めだった。

遠雷の音が段々に近くなる。辺りの暗む中、紅い硝子部分だけが光るように見え、
その色をまなうらに刻み込みながら、
いつまでも立ち去りがたいのだった。
感傷旅景 1













列車に揺られながら少しずつ日常の世界から逸脱してゆく自分を感じて、ほんの少し自分の何処かが透明になってゆくような気になるのは、いい歳をしてまだ私が感傷というものをどこかに引きずっているせいだろうか。何度も夢のなかに想い描きそして潰えていた残像でしかなかった町は、眼を上げると閑かに夏の日盛りのなかに思いの外活きいきとした色彩と匂いとを伴って現れ、これも私にとっては刹那の幻に過ぎないと言い聞かせながらも、昂ぶる気持ちを抑えられずに町の深みへその奥へ奥へと吸い込まれるように向かっていく。そして辿り着いた所には今まで見たことの無かった不思議な造作の建物がてきれきと白昼の夏日に照らされながら顕ちあらわれ、どっぷりと深い闇を湛えながらも静かに私を圧倒する。

そして町のはずれの小さく坂になっている日陰の小径を、ゆっくりと上ってゆく老女の藤色の日傘、その背中のなだらかな曲がり具合を見送りながら、ささやかな段々にさしかかる辺りで振り向けば、一瞬、私は私の過去と未来に、いとも容易くすれ違うことができるのだった。
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