
今年になって、ワタシ的には見逃せない大きな展覧がいくつかあった。
小村雪岱(埼玉県立近代美)と斎藤真一が二箇所(武蔵野市立吉祥寺美+八重洲 不忍画廊)で。
色々慌しかったので、遅ればせではあるが漸く書いておく。
どの展覧も期待に違わず、大変好くて印象に残るものだった。
どちらも、もう二十年以上前から展覧のある度に何度も観ているけれど、やはりいつも心打たれるのである。
小村雪岱のほうは美術誌やテレビにも採り上げられて、今までになく喧伝されていた。
勿論悪いことではない。この「粋でモダンで繊細で」と銘打った今年の展覧の謳い文句通りの世界なのだが、今まであまり知られておらず、そういう意味では久しぶりに画期的な大きな展覧であった。
斎藤真一のほうは、東京ステーションギャラリーで99年に回顧展的な展示をやって以来の大きな展示だったと思う。
今回は展示替えがあり、後半しか見られなかったのは残念だった。画廊のほうは毎年展示があり、何点かずつは見ている。今年は特に、ワタシの好きな一枚が出ていたのでうれしかった。そしてやはり彼の作品は、実物を見るに限ると思う。あの色の持つ力は、印刷ではどうしたって出ないのだ。
どちらもワタシの画に大きな影響、刺激、いやもっと深い何かを与えてくれた作家であるが、両者に共通するものはやはり、日本人誰もが持っていた筈の、郷愁の在処を指し示していることであろうか。否、言葉にするのは無意味かもしれない。今こうしてもう一度あの画たちの余韻にふれると、切なくもなつかしい遠い日の風の匂いがよみがえるようだ。そして、それは私の中で、深い喪失感をも伴う感情なのであるが。
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