
愚図愚図していて買うのが遅れていたパネルが、手元に届いた。
正方形のS(スクエア)サイズ各種。
恥ずかしながら、Sサイズのパネルがあることを知らなくて、
木材のショップなどで板を買っていたら、イラストをやっている友人に「あるよぉ」と笑われた。
S堂などにあると言われたのでわざわざ買いに行ったら店頭になくて、「お取り寄せになります」と言われ、ちょっと萎えて面倒くさくなり、ネットで買うことにした。
あるようで意外とネットショップにも在庫が少なく、少し高めだがY画材というショップで注文した。
漸く届いたパネルは予想以上に質の好いもので、梱包を解くと木の良い香り。
ヤスリをかけてあるのか、手触りもやわらかくすべすべだった。
これだけでも気分が上がる。
自分でもちょっと可笑しくなるが、でもやっぱり新しい画材はうれしいものだ。
これからやっと温めていたモチーフを展開してみる。
少しずつまた頑張ります。。。
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夕刻、六時をまわってから谷中の坂を上ってみた。
早い夏の夕方の、薄ら明かりの残る空は好いものだ。
ストイックな魂を持った画家たちの作品のことを思い浮かべながら、
あまりにそれとかけ離れたような昨今の周囲の状況を一体何だろうかと思う。
ツイッターもフェイスブックもラインも何もやっていない私は
時代に置いて行かれているのかもしれないが、周囲を眺めていると
たとえ孤独でも閉ざされているほうが寧ろ居心地が好く楽で、不必要なことで惑わされることがずっと少ないように思う。
ほんの数人だが決して裏切ることのない友人、私にとってその数人は掛替えなく大事な存在であるが、
それ以上に沢山の、見せかけだけの危ういつながりなどはもう要らないとさえ思う。
内輪だけの盛り上がりや気休めの虚しいこと。
そんなものは何も生み出さないし、自分の姿を見失って行くだけに見える。
この歳になってどんどん厭世的になり厭人癖が強まって
偏狭な老人になってゆくと思われるのかな。
まあそれでもいいか。
余計なことに煩わされている時間も余裕も、実は無いことに
日々気付かされているのだから。
やるべきことは、やりきれないほどあるのだから。
過日久しぶりに某所で石内都さんの大きな作品を見た。
他の何人かと合同の展示だったのだが、
やはり彼女の作品が私には一番ぐいぐい来て
そして一番堂々としていて
そしていつもその写真は私を強く励ましてくれるのだ。
何をやってるの。まだまだそんな所で足踏みしてちゃ駄目よ!
心が荒んだら行きたい町があって、それはMという町なのだが、
それが本当に現実であるのかもしかしたら幻想であるのかが頭の中で曖昧になってくることがある。
何度か訪れているその町の切れぎれの記憶や、過去に撮った写真の風景などが
浮かんでは消えて、ふうっと睡魔に襲われる時に見える景色、
ああ今夢をみていたんだっけ、いやそうではなくて・・・などど反芻しているうちに
またその景色のことも忘れかけてしまう。
だが画を描こうとすると何故かその曖昧な断片が、不思議にリアルに蘇ったりするのだ。
可笑しなものだと思う。
・・・画像を見るためにこのブログにおいで下さっている方には申し訳ないのですが、
生活にやや変化もあったりして少しこれという画像を撮って出す精神的な余裕がなく、
文章(と言うよりどうでもいい短文)ブログになってしまいますが
また画像も出すこともあるかと思うので、もしそれでもお付き合い頂けるなら・・・たまに覗いてみて下さいませ。
展示は予定通り10月に行う予定です。
是非その折はゆっくりご高覧下さい。
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