
陋巷画日記・8.
嘗て描いた景色、建物に今一度出会うのは不思議な感覚である。
2003年の個展の時に出品した「春の雪」という作品は、東日暮里のとある往来を描いたものだったが、先頃そのモチーフにした場所を通りがかったら、変わらずにそこがそのまま現れたので、寧ろびっくりしたのである。
此処は陋巷という言葉そのもののような、御覧のようなたたずまいで、そのすがれぶりはちょっと暗然としないでもないが、やはり未だこんな闇を孕んだ部分を抱いているのは、この町の懐の深さ故ではないか。
赤錆びた物干しが何とも言えずくすんだ紅い屋根とあいまって、いつ無くなっても不思議はないこの陋巷に、また暫し感慨を覚えたのである。
≪この記事へのコメント≫
>いつもありがとうございます。
ワタシは三島が割腹自殺したとき、たしか小学生で、よくわからないながらかなり衝撃を受けました。それで大人になっても、何か怖くて読む気になれず、今に至っています。
荷風先生の描く陋巷は、たしかに陶然と美しいですよね。木村荘八の描く世界も。。。ワタシには到底たどり着けそうもないのですがね、常に遠い憧れではあります。
ワタシは三島が割腹自殺したとき、たしか小学生で、よくわからないながらかなり衝撃を受けました。それで大人になっても、何か怖くて読む気になれず、今に至っています。
荷風先生の描く陋巷は、たしかに陶然と美しいですよね。木村荘八の描く世界も。。。ワタシには到底たどり着けそうもないのですがね、常に遠い憧れではあります。
>この物干し台、すごく好いんですよ。
ステテコとカトちゃんアタマですか?
それならワタシは山田花子ばりに?つんつるてんの絣の着物に、ほっぺは紅いぐるぐるうずまきなんてどうでしょう?一緒に並んでみますかね?
ステテコとカトちゃんアタマですか?
それならワタシは山田花子ばりに?つんつるてんの絣の着物に、ほっぺは紅いぐるぐるうずまきなんてどうでしょう?一緒に並んでみますかね?
トタン屋根と電線と崩れそうな物干し――陋巷の必須アイテム?がテンコ盛りですね。
街を十把一絡げにして語るのは不遜ですが、東日暮里や三ノ輪、南千住など都電・三ノ輪橋駅の周辺は、まさしく陋巷が今尚息づいていますよね。
陋巷を美しく描くneonさんの作風にいつも感銘を受けています。
私、三島由紀夫の大ファンでもあるのですが、彼は、あの荷風先生について、こんなことを言ってますよ。
「永井荷風は、最も下品なものを最も美しく書く人だ」
neonさんの作品を拝見して、そんな言葉を思い出しました。
街を十把一絡げにして語るのは不遜ですが、東日暮里や三ノ輪、南千住など都電・三ノ輪橋駅の周辺は、まさしく陋巷が今尚息づいていますよね。
陋巷を美しく描くneonさんの作風にいつも感銘を受けています。
私、三島由紀夫の大ファンでもあるのですが、彼は、あの荷風先生について、こんなことを言ってますよ。
「永井荷風は、最も下品なものを最も美しく書く人だ」
neonさんの作品を拝見して、そんな言葉を思い出しました。
平屋っぽい建物が最高です。
やはり、私が興味引かれてしまうのは、この二階部分になりそうな、洗濯台。
今回は、ここにステテコパンツと、カトちゃんのような髪型の私が、煙草をくわえている姿を想像して楽しみました。(笑)
やはり、私が興味引かれてしまうのは、この二階部分になりそうな、洗濯台。
今回は、ここにステテコパンツと、カトちゃんのような髪型の私が、煙草をくわえている姿を想像して楽しみました。(笑)
>あ、実際には屋根はこんなパッチワーク状ではなくて、小汚いながらもうちょっと揃ってました。描く上でデフォルメというか、描いてるうちにこ~なっちゃいました。・・・ワタシも多分どっかビョーキです。。。東日暮里は、まだ独特の雰囲気がありますね。
>そうなんですよ~、だいたい「陋巷」なんて言葉は、今じゃ死語でしょう。永井荷風を読んでる人ぐらいしか、知らないんじゃないかと思います。それを掘り起こしてるのですから、まあ酔狂としか言いようがないです。でも、やっぱりこの漢語がぴったりくるように思えるんですよ。
東日暮里は在日のかたも多いので、そう言う意味でも渾然とした雰囲気です。でも、とても惹かれるものがあるんですよね。
東日暮里は在日のかたも多いので、そう言う意味でも渾然とした雰囲気です。でも、とても惹かれるものがあるんですよね。
東日暮里は建て替えられて何も残ってないと諦めた頃 突如 時をさかのぼったかのような物に出会う街です、この屋のトタン屋根の模様はデザインされたような見事なパッチワークですね。
ほんとだね
だいたいもう「陋巷」なんて言葉すらなくなりかけている
言葉も現物とともに消える運命を背負っているんだね
それがまだしっかりとありますか
懐の深い町なんだねきっと
いろんな物が渾然と平然と毅然と生きていけるのがいいな
だいたいもう「陋巷」なんて言葉すらなくなりかけている
言葉も現物とともに消える運命を背負っているんだね
それがまだしっかりとありますか
懐の深い町なんだねきっと
いろんな物が渾然と平然と毅然と生きていけるのがいいな
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