
ワタシの画は、言ってみれば具象でも抽象でもない、その間にあるような画なのであるが、それがワタシのオリジナリティでもある、だろう。
見たままを描くだけでは何だか物足りない。作品の下図としてのスケッチ、その鍛錬は必要と思うが、作品がそこで終わるのはイヤなのだ。だがこれはあくまで自分の描く画についてである。他人の描く画では、いくらでも好きな「見たまま画」はある。・・・多分、きっちりしたことが苦手なドンブリ勘定的な性格も、自分の描き方にはかなり関係している気がする。
アップした画は、実は町屋付近の京成線のガード下をモチーフにしたのである。なかなかそう言われないと解らないと思う。向かって左側がガード。右側がごみごみした陋巷の建物であった。
自分としてはこのくらい抽象度を上げた作品を、常に描きたい欲求がある。無駄を削ぎ落としたフォルム、色の洗練といったものにどうしても憧れがある。(勿論この画が必ずしも成功しているとは言えないが。)
しかし一方で「陋巷画日記」シリーズのような、具象に近く、しかしちょっと抽象化された画は描きやすく、また描いていて愉しい。描き馴れてきたこともあるし、見る側も受け入れ易いだろうと思う。
どちらもやはり否定できないワタシの要素である。この抽象と具象の合間を、これからも行ったり来たりするであろう。描きやすいほうにおもねることはしたくないが、描いていて愉しいことは大切だ。必ず観るひとにもそれは伝わるから。でもいつも何処かで、遠い自分の画の理想型を求めながら、ずっとずっとこれからも描いていたいと思う。
≪この記事へのコメント≫
>コメントありがとうございます!
遊野さんの具象はとても好きですよ。
ワタシのバアイは、ひねくれモノなので、どうもこんなんで。。。でもあんまり抽象度が高くて何だかわからないのも、ちょっとね~、敬遠してしまいますね。
遊野さんの具象はとても好きですよ。
ワタシのバアイは、ひねくれモノなので、どうもこんなんで。。。でもあんまり抽象度が高くて何だかわからないのも、ちょっとね~、敬遠してしまいますね。
この絵などはかなり抽象の度合いが高いですね。抽象画は現代アートのメインストリームですからあまり入っていっても面白くないし、一番面白いバランスがなんとも楽しい雰囲気です。
>今回のエントリーは、コメントつけにくいだろうな~と思っていました、ありがとうございます。そんなふうに気軽に色々想像して見て下さるのってうれしいですよ。こういうものは好きかキライか、どっちかしかないような気がしますから。
陋巷の建物や細道には、ほんとに時々吃驚するようなフォルムや素材や色がありますから、それを自分なりに愉しく描けたら・・・といつも思います。
陋巷の建物や細道には、ほんとに時々吃驚するようなフォルムや素材や色がありますから、それを自分なりに愉しく描けたら・・・といつも思います。
いろいろな要素があり、いったりきたりで面白い。
そんなことってありますよね。
この絵をじっとみて、左のほうにいったら、狭そうで面白い。真ん中の灰色部分は坂かな? のぼっていったら、、、右は、どうだ?
と、想像してみました。 楽しいです。^^
そんなことってありますよね。
この絵をじっとみて、左のほうにいったら、狭そうで面白い。真ん中の灰色部分は坂かな? のぼっていったら、、、右は、どうだ?
と、想像してみました。 楽しいです。^^
| HOME |