
何度もそこへ立ち返って、自分の心根、或いは創作の在処を探す、
そんな風景があるとしたら、ワタシは何と言ってもこの朽ち果てゆく川沿いの風景を挙げるだろう。
鶴見川に沿った生麦の川縁。もうほとんど海岸といっていい場所だが、
ここに嘗てボロボロのバラック街があったことは何度かこのブログにも書いた。
二十世紀末までこの風景は残っていたが、今は綺麗サッパリ護岸工事が行われ、
こんな風景は幻の光景と化している。
この、湿った、朽ち果てようとする風景をありありと想い出し、
画面に描こうとするとき、
<まとまろうとするな、安定するな、安定する構図のために線を描き足すな>
と或る人に言われたことを想い出す。
そして時々、自分をそうやって揺さぶることにしている。
このうらぶれた風景が、
今尚、多くのことをワタシに向かって語ってくれるのだ。
≪この記事へのコメント≫
>遊野さま反応していただきありがとうございます。恥ずかしながら未だにこの言葉をなかなか実行できないのでありますが、度々そんなワタシを打ちのめし、立ち上がらせてくれる言葉なのであります。勿論万人向けの言葉でなく、ワタシのみに向けた苦言なのですがね。。。
そうそうなんですよね、影の部分のなくなっていく町、小綺麗に整えられ、よそ行きの顔ばかりの、体温の感じられない、居心地の悪さ。違うこんなんじゃない、ワタシの居場所は此処ではないんだと、どこかでいつも声がするようです。そしてそんなとき、いつでもこの失われた光景が顕ちあがってくるのです。
そうそうなんですよね、影の部分のなくなっていく町、小綺麗に整えられ、よそ行きの顔ばかりの、体温の感じられない、居心地の悪さ。違うこんなんじゃない、ワタシの居場所は此処ではないんだと、どこかでいつも声がするようです。そしてそんなとき、いつでもこの失われた光景が顕ちあがってくるのです。
<まとまろうとするな、安定するな、安定する構図のために線を描き足すな>
なんという鮮烈で滝つぼに落ちる水がごとく突き刺さる言葉です
その言葉を忘れずに大切にされている気持ちがちゃんと表現されているように思います
どこもかも綺麗に整えられて明るく清く白々しくなっていく景色
影の部分がなくなればのっぺりしたあからさまな空間で埋まってしまう都市
そういう場所は作ろうとして作れるものではありません
あるべき場所に居場所をなくしたもの達が
去った後には明るく清く白々しくなっていく景色があるだけさ
なんという鮮烈で滝つぼに落ちる水がごとく突き刺さる言葉です
その言葉を忘れずに大切にされている気持ちがちゃんと表現されているように思います
どこもかも綺麗に整えられて明るく清く白々しくなっていく景色
影の部分がなくなればのっぺりしたあからさまな空間で埋まってしまう都市
そういう場所は作ろうとして作れるものではありません
あるべき場所に居場所をなくしたもの達が
去った後には明るく清く白々しくなっていく景色があるだけさ
>あ、お風邪好くなられましたか?
はい、水辺の風景は永遠に人を惹きつける何かがあると思います。羊水に浸かっていた頃を想い出すのでしょうか。
この一帯の人びとは漁業に携わっていたと思われますが、すっかり様変わりしてしまい、本当に何処へ行ってしまったのか。。。
ぼろぼろの、でも不思議に心落ち着く光景でした。
はい、水辺の風景は永遠に人を惹きつける何かがあると思います。羊水に浸かっていた頃を想い出すのでしょうか。
この一帯の人びとは漁業に携わっていたと思われますが、すっかり様変わりしてしまい、本当に何処へ行ってしまったのか。。。
ぼろぼろの、でも不思議に心落ち着く光景でした。
これもまた「水辺の風景」なのですね。
ロープに掛かったタオル?が人の気配を感じさせていますね。
水上生活者たちはどこへ行ったのでしょう。
ロープに掛かったタオル?が人の気配を感じさせていますね。
水上生活者たちはどこへ行ったのでしょう。
>ここは独特のすがれた雰囲気があり、ひとりでひっそり行くにふさわしい場所でした。残っていたらきっとRambler5439さんも心打たれたであろう場所です。貝殻海岸とも言われていました。貝殻の捨て場所だったので、波打ち際は白くて、歩くとじゃりじゃりしていました。
この画を拝見しているうちに、河口周辺に特有の、ほのかに潮の香りをはらんだ水の臭いを思い出しました。たぶんアジアの臭いですね。
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