N的画譚

N町在住、陋巷の名も無き建築物を描くneonによる、日日の作画帖です。
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モンドリアン頌
IMG_3252 (640x480)












前回、クレーよりモンドリアンに近い、と書いたので、ちょっとその辺のことを。。。
(長いので、興味の無い方はスルーして下さいませね~。)

初めてモンドリアン絵画を知ったのは中学生の時で、当時配布された美術のテキストのひとつに「美術 表現と技法」(日本文教出版)というのがあり、その中の抽象絵画の解説のところに彼の画が載っていたのだった。
そこには彼の3枚の作品・・・「赤い樹」「灰色の樹」「花咲くりんごの樹」が並べられ、具象から抽象へと移り変わっていったプロセスが紹介されていた。
その3枚ともが、非常に印象深く、またその抽象化の過程にも強く惹かれた。
印刷物ではあるが、その絵肌の厚みや筆遣いも深く心に刻まれたのだった。
今でもこのテキストだけは、ボロボロだが大事に持っている(画面左)。

その後1987年に西武美術館、88年にBunkamuraザ・ミュージアムで大きな展覧があり、両方とも見ることができた。今でもその時のチラシなどを大切に保管している。特にBunkamuraのほうは、彼の作品を見る最後の機会となるというので(以後は海外に作品を出さないことになったそうである)、じっくり観た。当時もそんなにも人気があったわけでもなく、でも私にとってはあの三枚の樹の画が並んで展示されたので、本当に目に灼きつける想いで長い時間観ていたのを覚えている。
西武美術館での展覧は、副題に「純粋抽象への展開」とあるが、モンドリアンと言えば大小の方形で構成された、シンプルすぎる画面を思い出す人が多いことだろう。そこへ行くまでに辿った経過に、私は何故か非常に惹かれた。彼の具象も大変好きなのであるが、一見印刷物ではつまらないような抽象のコンポジションシリーズも、実際に見ると大変美しい、味わいのあるものだった。

そして、必ずしも一般に「抽象化=純粋化」という図式は成立しないのであるが、彼の場合は非常に強くそれが感じられる。そういう固定しない、ピュアなものへの或る意味極端な志向というものが私にも何処かにあって、そこに共鳴するのだろうと思う。そしてそのプロセスの作品どれもが完成されていて(と、私には思えた)、今でも心から憧れの存在である。

抽象というのは、具象から不必要なものを取り去っていく、本当に表現に必要なものだけを択びとってゆく・・・
今でも、私にとっての抽象の意味はそこにある。
ただ単に<わけワカラン>だけの抽象には惹かれない。やはり、「削ぎ落とす」ストイックさの果ての「純化」に近い抽象にひたすら憧れる。その磨き抜かれたフォルムや色彩の世界、勿論今の私の画を見ればそんなものはあまりに遠いのだが、どこかでいつもそうした考えが底辺に流れている。そしてそれは、モンドリアンに出会わなかったら、芽生えていなかった・・・かもしれない。
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