
埼玉県立近代美術館(北浦和)で開催中のベン・シャーン展に行ってきた。点数が200点と多い上、そのほとんどを占めるインクで描いたドローイングが素晴らしく、充実した内容だった。やっぱり線の素晴らしい画家は尽きせぬ魅力がある。常設の一部に小村雪岱も出ていて、この人も昔から大好きな画家のひとりである。彼の描く線の美しさといったら、もう筆舌に尽くし難い。いつか彼についてもここに書きたいと思っている。
さて今日アップしたこの画は、過去作のひとつで、2000年に銀座のギャラリーで個展をしたときに出したものだ。
「錆朱(さびしゅ)の町」というタイトルで、M15というサイズ(651×455)。最近の作品との違いが如実に分かると思うが、この頃は今より具象に近く、線の数も多く、色遣いも濃度が濃い。モチーフは、横浜の鶴見から鶴見線という小さな電車に乗って暫く行ったところの、東京湾に近い工業地帯である。
お世辞にも綺麗な景色ではない。寧ろ忌避すべき景かもしれない。だが、私は以前からこういう京浜工業地帯沿いの、無機質な海景に妙に惹かれてしまうのだった。
坂口安吾の『日本文化私感』というエッセイに、美しさのかけらもない小菅の刑務所と、築地のドライアイスの工場が「郷愁をゆりうごかす」美感があると述べているくだりがある。この文章を読んだのは15歳の時だったが、自分のなかで理屈抜きに、感情として理解できた気がしたのだった。以来、私は理由の分からない自分の美意識を、肯定することができるようになった。自分の心から惹かれるものなら、それを表現することに躊躇しなくてもいいのだと。
だが、心の中を表現するには、ある程度の技術の鍛錬が必要であり、美大を出てもいない私にとっては、随分時間のかかることでもあった。これを描いた頃は、もっと余計なものは省いてシンプルな画面を作りたいと思いながら、そこまで至れずに試行錯誤していたのである。
お世辞にも綺麗な景色ではない。寧ろ忌避すべき景かもしれない。だが、私は以前からこういう京浜工業地帯沿いの、無機質な海景に妙に惹かれてしまうのだった。
坂口安吾の『日本文化私感』というエッセイに、美しさのかけらもない小菅の刑務所と、築地のドライアイスの工場が「郷愁をゆりうごかす」美感があると述べているくだりがある。この文章を読んだのは15歳の時だったが、自分のなかで理屈抜きに、感情として理解できた気がしたのだった。以来、私は理由の分からない自分の美意識を、肯定することができるようになった。自分の心から惹かれるものなら、それを表現することに躊躇しなくてもいいのだと。
だが、心の中を表現するには、ある程度の技術の鍛錬が必要であり、美大を出てもいない私にとっては、随分時間のかかることでもあった。これを描いた頃は、もっと余計なものは省いてシンプルな画面を作りたいと思いながら、そこまで至れずに試行錯誤していたのである。
≪この記事へのコメント≫
あ~、やっぱり好い写真をお撮りになっておられますね。チョコレート色の車両はなつかしい!今はカナリヤ色のになってしまいましたよね。ここの景色はどうしても写真にはかなわないな~と思うんですよ。あまりに絵的で、絵にしにくいんです。
>GG-1さん
深い文章のコメントありがとうございます。GG-1さんは鶴見線は勿論お乗りになっていると思っていました。(写真もおありになるでしょうね、拝見してみたい・・)本当に巨大な人工物の世界です。鋼鉄の色かたち+廃墟感というのも頷けます。ただ、そこにぽっと灯りがともると、何故か少し心がうるみますね。
深い文章のコメントありがとうございます。GG-1さんは鶴見線は勿論お乗りになっていると思っていました。(写真もおありになるでしょうね、拝見してみたい・・)本当に巨大な人工物の世界です。鋼鉄の色かたち+廃墟感というのも頷けます。ただ、そこにぽっと灯りがともると、何故か少し心がうるみますね。
川崎の鶴見・浅野~夜光の辺りの光景は私も非常に惹かれます
街中に住む者にとっては工業地帯は自然溢れる山岳地帯等とは両極端で、どちらも日常目にすることの無いスケールの大きな物が沢山あるから惹かれるのでしょう
自然と人工物と言う点からも両極端ですね
私の場合は、
巨大な人工物で、不夜城で活動していながらも
なぜか盛者必衰の理、人間が作った物であるが故の虚しさを感じてしまい
鋼の構成美と共に廃墟感が私には魅力です
街中に住む者にとっては工業地帯は自然溢れる山岳地帯等とは両極端で、どちらも日常目にすることの無いスケールの大きな物が沢山あるから惹かれるのでしょう
自然と人工物と言う点からも両極端ですね
私の場合は、
巨大な人工物で、不夜城で活動していながらも
なぜか盛者必衰の理、人間が作った物であるが故の虚しさを感じてしまい
鋼の構成美と共に廃墟感が私には魅力です
>kadoorie-aveさん
そうですか~、でもこれは私もいまだに、そしてこれからもずっとぶち当たることだと思います。それがあるからこそ、進めるってこともありますよ。目の前に仕事が迫っているとなかなか余裕なかったりすると思いますが、頭のどこかにいつもそれを置いておくと、きっとだんだん糸口が見つかっていくような気がします。
そうですか~、でもこれは私もいまだに、そしてこれからもずっとぶち当たることだと思います。それがあるからこそ、進めるってこともありますよ。目の前に仕事が迫っているとなかなか余裕なかったりすると思いますが、頭のどこかにいつもそれを置いておくと、きっとだんだん糸口が見つかっていくような気がします。
>もっと余計なものは省いてシンプルな画面を作りたいと思いながら、
そこまで至れずに試行錯誤....というのは、まさに今の私です。
イラストも、仕事用でない絵を描く時も、文も。
(ああ、頭いたい....ため息たくさん....)
neonさんの絵が好きな理由の一つは「ないものねだり」です、多分。
.
そこまで至れずに試行錯誤....というのは、まさに今の私です。
イラストも、仕事用でない絵を描く時も、文も。
(ああ、頭いたい....ため息たくさん....)
neonさんの絵が好きな理由の一つは「ないものねだり」です、多分。
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>scotcheggさん
夕方からまた冷えてきましたね。海芝浦いらっしゃったことあるんですね。茶色の車両が走っていたのはかなり以前ですよね。私は国道駅の近くに半年だけ住んだことがあります。あの駅は「さまよう」気分にほんとにさせてくれますよ。でも何人かそういう人が必ず乗ってますね。
夕方からまた冷えてきましたね。海芝浦いらっしゃったことあるんですね。茶色の車両が走っていたのはかなり以前ですよね。私は国道駅の近くに半年だけ住んだことがあります。あの駅は「さまよう」気分にほんとにさせてくれますよ。でも何人かそういう人が必ず乗ってますね。
neonさんこんばんは。先ほどから冷たい雨が降り始めています。
以前鶴見線の一両の茶色電車に乗りに行ったことがあります。荒廃したような工場地帯を走りました。海芝浦のホームで海をみながら、さも自分が場違いなところに迷い込んでしまったかのように思いこませて、ハリーディーン・スタントン気取りで…。でも『折り返します』と車掌さんの案内でキチンと車内におさまる小心者。それじゃさまよってないんじゃないか…。
ふと思い出しました。
以前鶴見線の一両の茶色電車に乗りに行ったことがあります。荒廃したような工場地帯を走りました。海芝浦のホームで海をみながら、さも自分が場違いなところに迷い込んでしまったかのように思いこませて、ハリーディーン・スタントン気取りで…。でも『折り返します』と車掌さんの案内でキチンと車内におさまる小心者。それじゃさまよってないんじゃないか…。
ふと思い出しました。
2006/02/18(土) 22:05:49 | URL | scotchegg #-[ 編集]
>わきたさん、コメントありがとうございます。その「引き算」がやっぱりずっと課題になるだろうと思われます。そして「夕方」の魔力は言わずもがなですが、画の場合、あまりそこに「逃げ」ないようにとも思います。意識して情緒を醸し出そうとするのは、気分的な物に流れるきらいもありますので。。過去作はほとんど手元にはないので、実際にはお見せできませんが、新作は5月に地元で小さな展示を致します。またお知らせはここに描く予定です。
5分ぐらい、じっとお書きになった絵を見ていました。最近買った本のなかに、「風化は引き算によって、前からそこにあったものを生み出す」という部分があり、そのことが頭に浮かんできました。夕方という昼から夜に移行する時間帯は、ますます見る対象を不思議な雰囲気につつみこみます。このような点は、masaさん的でもあります。実際の本物であれば、もっと印象は深まることでしょう。個展などのお知らせも、ぜひ、このブログでなさってくださいね。
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