
繰り返しくりかえし私の中に想起される風景というものが幾つかあって、
H町の遊廓街やこの侘しい海際の景色がそれなのであった。
此処は本当は河口で海とは言い難いのであるが、
京浜の湾を見て育った私にとってはほぼ海のイメージはこれなのであった。
嘗ては漁業も営まれた小さな岸には
捨てられた貝殻が真っ白に砂を埋めて、その上に辛うじて立っているような
船着き場や半分水に漬かったトタンの船小屋が累々と並んでいた。
今はすっかり整備されてあのぼろぼろの風景は
無かったことのようにかき消されてしまったが、
私には忘れようとしても忘れられない景色なのだった。
萩原朔太郎の「荒寥地方」「沿海地方」といった詩が浮かぶような
すがれた、小汚い、場末の芬々たる眺めであったがいつもそれらは
私の傷みを吸いとって、孤独を脆弱なものから磨きだし、描くことによって
遠い空の彼方に解放してくれるような気さえしていたのだった。
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