
引き続き、我が町の周辺譚その3です。
根津に越した頃、「粋な所に越したねえ」と何人かの方に言われた。年配の男性で、荷風などの文学好きと思われる方がほとんど。そのイメージはおそらく根津にかつて遊廓があったことからくると思われる。だが、実際根津遊廓は明治21年に洲崎に移転させられた(近くの帝大生に悪影響を及ぼすということで)ので、以来遊廓そのものはこの町から無くなってしまっている。
建物で言っても、その面影を遺していた上海楼という旅館も先年無くなったし、マンションばかりが増えて、遊廓の残香はほとんど見あたらない。そう思っていた矢先、不忍通りを一本裏に入った通りにあるお米屋さんのおじさんに、「向かいの家は、昔の遊廓の跡だよ」と言われて吃驚した。
と言われても、ほとんどそこは襤褸家といった風体の家で、廃屋ということはすぐ見て分かる荒れようだ。木造の二階建てだが、軒は低く、二階の窓にバルコニー状のものがついているのだけが、僅かに「らしい」点か。
おじさんによれば、嘗てはこの裏通りが街道で、根津神社からずっと延びており、道沿いが遊廓だったそうだ。その一番南端が此処なんだそうである。洲崎に移転した後も、どうも大っぴらではないが、そう言った商売はぽつりぽつり残っていたらしい。その辺のことは森まゆみさんの「不思議の町 根津」(ちくま文庫)にも詳しい。
この一軒だけが界隈でも取り残されたようになっているが、因縁めいた話まで残っているらしく、現在はお寺の持ち物になっており、なかなか解体もできないのだそうだ。
そんな話をきくと、無気味な感じもしなくはないが、やはりかつての「夢の跡」と想うのは綺麗すぎるだろうか。向かいに長く店を持つおじさんの口調には、何とはなしにそんな雰囲気も感じられたのだった。
画像は、その家を裏側から見たところ。木の物干しが傾いて残っている。窓の木製のバルコニーは表側にだけ付いている。
[遊廓だった家] 12×10㎝ 2006
画用紙にミリペン、黒とグレーの筆ペン、鉛筆
おじさんによれば、嘗てはこの裏通りが街道で、根津神社からずっと延びており、道沿いが遊廓だったそうだ。その一番南端が此処なんだそうである。洲崎に移転した後も、どうも大っぴらではないが、そう言った商売はぽつりぽつり残っていたらしい。その辺のことは森まゆみさんの「不思議の町 根津」(ちくま文庫)にも詳しい。
この一軒だけが界隈でも取り残されたようになっているが、因縁めいた話まで残っているらしく、現在はお寺の持ち物になっており、なかなか解体もできないのだそうだ。
そんな話をきくと、無気味な感じもしなくはないが、やはりかつての「夢の跡」と想うのは綺麗すぎるだろうか。向かいに長く店を持つおじさんの口調には、何とはなしにそんな雰囲気も感じられたのだった。
画像は、その家を裏側から見たところ。木の物干しが傾いて残っている。窓の木製のバルコニーは表側にだけ付いている。
[遊廓だった家] 12×10㎝ 2006
画用紙にミリペン、黒とグレーの筆ペン、鉛筆
≪この記事へのコメント≫
>本当ですよ。多分私の勘ではそうだと思うのですが。写真も撮りましたよ。少し荒廃した感じでした。
>駅に割と近い仲町(だったかな)通りの歓楽街には、どうやら名残か?と思われる建物がひとつありましたよ。戦後のものかも知れませんが。。
本当ですか。どの辺だろう?今度、探してみましょうか。
本当ですか。どの辺だろう?今度、探してみましょうか。
>銀ねずみさん
そうですか、やはりありましたか。
でも、駅に割と近い仲町(だったかな)通りの歓楽街には、どうやら名残か?と思われる建物がひとつありましたよ。戦後のものかも知れませんが。。
そうですか、やはりありましたか。
でも、駅に割と近い仲町(だったかな)通りの歓楽街には、どうやら名残か?と思われる建物がひとつありましたよ。戦後のものかも知れませんが。。
遊郭の後、ですか。
わがまちにも20年くらい前まで、遊郭の最後の名残りと言われた木造3階建ての建物があったのですが、今は取り壊されて、跡地にはマンションが建っています。根津にはまだ残っているのですか。当時を伝える貴重な「証人」ですね。
わがまちにも20年くらい前まで、遊郭の最後の名残りと言われた木造3階建ての建物があったのですが、今は取り壊されて、跡地にはマンションが建っています。根津にはまだ残っているのですか。当時を伝える貴重な「証人」ですね。
>カークさん
そうなんですか~。夕焼けだんだんで??
あんなのんびりした年齢層高いところでナンパですかぁ。東大生も行き場がないのかなぁ。
そうなんですか~。夕焼けだんだんで??
あんなのんびりした年齢層高いところでナンパですかぁ。東大生も行き場がないのかなぁ。
半歩?遅れて、思い出してのコメントです。
>その後帝大生は風紀よろしくなったのでしょうかね~?
荒木経惟さんの写真集「人町」の中で確か森まゆみさんが夕焼けだんだんで東大生に軟派されそうになったとか言っていましたので、そんなことしなかった方が、、、(汗)。
>その後帝大生は風紀よろしくなったのでしょうかね~?
荒木経惟さんの写真集「人町」の中で確か森まゆみさんが夕焼けだんだんで東大生に軟派されそうになったとか言っていましたので、そんなことしなかった方が、、、(汗)。
>GG-1さん
画についてのコメントありがとうございます。ミリペンと勝手に言ってますが、正式名称は、PILOTの水性ボールペンHI-TEC-C ブラックなるもの。これの0.3~0.5を常用しています。
最近お気に入りはuni-ball signo超極細0.28ブラウンブラックというもの。後ほどエントリー致します次作はこれを使用しております。どちらも200円足らずのもんです。細くて哀感のある線がお好みなんですね。
建物の表側はいつか出したいです。非常に寂しさ極まってますから。。。
画についてのコメントありがとうございます。ミリペンと勝手に言ってますが、正式名称は、PILOTの水性ボールペンHI-TEC-C ブラックなるもの。これの0.3~0.5を常用しています。
最近お気に入りはuni-ball signo超極細0.28ブラウンブラックというもの。後ほどエントリー致します次作はこれを使用しております。どちらも200円足らずのもんです。細くて哀感のある線がお好みなんですね。
建物の表側はいつか出したいです。非常に寂しさ極まってますから。。。
何時もの道具立てに因るタッチですね
前回の様な鉛筆もエエが
個人的には今回の様なタッチの方がより寂しげ・儚げな感じがして好きだなあ
表側も気になるが果たして如何に?
前回の様な鉛筆もエエが
個人的には今回の様なタッチの方がより寂しげ・儚げな感じがして好きだなあ
表側も気になるが果たして如何に?
>カークさん
コメントありがとうございます。
神社の側に遊廓があるのは、「精進落とし」の意味合いがあるのだそうです。以前玉井さんにお聞きしました。明治になって、帝大の近くは風紀上好くないということになったのですが、宮武外骨などは「そんなことしなくてもいいのに」的な文章を書いたりしているのが面白いです。
その後帝大生は風紀よろしくなったのでしょうかね~?
コメントありがとうございます。
神社の側に遊廓があるのは、「精進落とし」の意味合いがあるのだそうです。以前玉井さんにお聞きしました。明治になって、帝大の近くは風紀上好くないということになったのですが、宮武外骨などは「そんなことしなくてもいいのに」的な文章を書いたりしているのが面白いです。
その後帝大生は風紀よろしくなったのでしょうかね~?
おおらかというか根津神社の街道沿いが遊郭だったのがなんか面白い取り合わせですね、当時、東大(帝大)の裏手に遊郭では相応しくないと洲崎に追いやられたという話をどこかで聞いたことがあります。
どっちが先やら解りませんが、今も昔も変わりませんね。
どっちが先やら解りませんが、今も昔も変わりませんね。
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