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N的画譚

N町在住、陋巷の名も無き建築物を描くneonによる、日日の作画帖です。
こんなんも描いてました


過去の作品が続きますが、意外な画を出してみました。

大学に入った年から約十年間、日本画を習っていた。師事したのは院展系で、前田青邨の内弟子だった方。とても穏やかな先生で、素人の私にも、紙の裏打ちから張り方、岩絵の具の扱い方から膠の溶き方に至るまで、丁寧に教えて下さった。
歴史画をよくした青邨に倣い、先生も絵巻物などを描かれていたので、当時古典を題材にした画が好きだった私も、随分絵巻物の模写などもやらせていただいた。日本の絵巻物の線描は、本当に素晴らしいものだとつくづく思ったものである。
20061005144216.jpg

で、一時期絵巻物ふう平安朝人物を結構描いた。きちんとした日本画作品は今手元になく、実家に額装と軸物、和綴じの折手本などがある。

今回アップしたのは、十年ぐらい前に、洋紙にイラスト風に描いたもの。和歌を題材に、随分崩し気味に描いているが、衣装その他は大学でわざわざ被服学科の授業を1年受けて勉強したので、一応間違ってはいないと思いますが・・・。

まあ、若かった頃の名残の少女趣味と思ってご笑覧下さい。

[色も無き心]
[つげの小まくら]
A3,B4 フェザーワルツ紙、画用紙
鉛筆、顔彩 1995頃
Comment
≪この記事へのコメント≫
はい~
>わきたさん、ありがとうございます。
はい、まあ切ない恋の歌でございますから。。。
2006/10/07(土) 10:10:53 | URL | neon #Fos2lKYE[ 編集]
なんだか・・・
2つめの画は、なんだか艶っぽいですね~。
2006/10/06(金) 23:35:21 | URL | わきた・けんいち #YDwNo08I[ 編集]
レベルが違います
>m-louisさん
私の場合、美大ではどう教えられるのかは分かりませんが、日本画はある程度技術を学習しないと描けないんだなと思いましたね。

しかしお祖父さまの作品は「少女趣味」なんてゆー範疇ではございませんよ。これは佐竹本三十六歌仙絵巻(鎌倉期)の小野小町を臨画なさったものですね。江戸期に狩野探幽(だったと思う)がほぼこれそっくりにまた描いた歌仙絵がありますが、お祖父さまのは佐竹本のほうを下敷きになさっていると思われます。この画は構図も好く、色彩も華やかなので、後世の歴史画家は一度は臨画、模写する作品です。松岡エイキュウ(字が出ない)の薫陶をお受けになったお祖父さまならではの学習の成果たる作品で、私ごときとはレベルが違いますね~。
2006/10/06(金) 12:27:19 | URL | neon #Fos2lKYE[ 編集]
祖父も描いてました
僕の場合、祖父が日本画を描いていたというだけで、自分自身はなんら日本画の学習パターンとか知らないんですが(美大時代にも誰一人日本画学科の友人いなかったし)、こうしてここで neonさんにそういう経緯的なことを書いていただくと、なるほど~という感じです。

ちなみにうちの祖父もちゃんと少女趣味時代経由してますよ(^^;)
http://m-louis.jpn.org/kingei/works/early/068_nyogo.jpg
愛知県の親戚の家に残ってたものなので、おそらく18歳未満で描いたものと思われます。
こんなことなら、この作品も今回借りるようにお願いすればよかったかなぁ。
まぁ、額に入ってしまっているので、遠慮してしまったんですが。。
2006/10/06(金) 02:00:00 | URL | m-louis #Fos2lKYE[ 編集]
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