
過去の作品が続きますが、意外な画を出してみました。
大学に入った年から約十年間、日本画を習っていた。師事したのは院展系で、前田青邨の内弟子だった方。とても穏やかな先生で、素人の私にも、紙の裏打ちから張り方、岩絵の具の扱い方から膠の溶き方に至るまで、丁寧に教えて下さった。
歴史画をよくした青邨に倣い、先生も絵巻物などを描かれていたので、当時古典を題材にした画が好きだった私も、随分絵巻物の模写などもやらせていただいた。日本の絵巻物の線描は、本当に素晴らしいものだとつくづく思ったものである。
≪この記事へのコメント≫
>わきたさん、ありがとうございます。
はい、まあ切ない恋の歌でございますから。。。
はい、まあ切ない恋の歌でございますから。。。
2つめの画は、なんだか艶っぽいですね~。
>m-louisさん
私の場合、美大ではどう教えられるのかは分かりませんが、日本画はある程度技術を学習しないと描けないんだなと思いましたね。
しかしお祖父さまの作品は「少女趣味」なんてゆー範疇ではございませんよ。これは佐竹本三十六歌仙絵巻(鎌倉期)の小野小町を臨画なさったものですね。江戸期に狩野探幽(だったと思う)がほぼこれそっくりにまた描いた歌仙絵がありますが、お祖父さまのは佐竹本のほうを下敷きになさっていると思われます。この画は構図も好く、色彩も華やかなので、後世の歴史画家は一度は臨画、模写する作品です。松岡エイキュウ(字が出ない)の薫陶をお受けになったお祖父さまならではの学習の成果たる作品で、私ごときとはレベルが違いますね~。
私の場合、美大ではどう教えられるのかは分かりませんが、日本画はある程度技術を学習しないと描けないんだなと思いましたね。
しかしお祖父さまの作品は「少女趣味」なんてゆー範疇ではございませんよ。これは佐竹本三十六歌仙絵巻(鎌倉期)の小野小町を臨画なさったものですね。江戸期に狩野探幽(だったと思う)がほぼこれそっくりにまた描いた歌仙絵がありますが、お祖父さまのは佐竹本のほうを下敷きになさっていると思われます。この画は構図も好く、色彩も華やかなので、後世の歴史画家は一度は臨画、模写する作品です。松岡エイキュウ(字が出ない)の薫陶をお受けになったお祖父さまならではの学習の成果たる作品で、私ごときとはレベルが違いますね~。
僕の場合、祖父が日本画を描いていたというだけで、自分自身はなんら日本画の学習パターンとか知らないんですが(美大時代にも誰一人日本画学科の友人いなかったし)、こうしてここで neonさんにそういう経緯的なことを書いていただくと、なるほど~という感じです。
ちなみにうちの祖父もちゃんと少女趣味時代経由してますよ(^^;)
http://m-louis.jpn.org/kingei/works/early/068_nyogo.jpg
愛知県の親戚の家に残ってたものなので、おそらく18歳未満で描いたものと思われます。
こんなことなら、この作品も今回借りるようにお願いすればよかったかなぁ。
まぁ、額に入ってしまっているので、遠慮してしまったんですが。。
ちなみにうちの祖父もちゃんと少女趣味時代経由してますよ(^^;)
http://m-louis.jpn.org/kingei/works/early/068_nyogo.jpg
愛知県の親戚の家に残ってたものなので、おそらく18歳未満で描いたものと思われます。
こんなことなら、この作品も今回借りるようにお願いすればよかったかなぁ。
まぁ、額に入ってしまっているので、遠慮してしまったんですが。。
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2007/08/18(土) 01:37:17 |
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2007/05/19(土) 14:46:53 | 美術をきわめる
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