
横浜に生まれ育った私にとって、「ふるさと」は勿論横浜なのであるが、「ふるさと」という言葉からイメージする景色はどうも違っていた。たとえば嘗てNHKで放映していた「新日本紀行」などで垣間見た、寂しい日本海側の景色。何故か十代の頃から、そんな景色に惹かれるようなところがあった。
平成元年に結婚して初めて赴くことになった土地が、新潟県の上越市は高田の町。何もかも初めてづくしの生活だったが、心に抱いていた「ふるさとのイメージ」がまさに眼前に拡がっていて、この越後の小さな町で暮らした4年間に見た風景は、今も鮮明にまなうらに焼き付いている。
高田の町は豪雪で有名なところで、雁木と呼ばれる木製のアーケードが今も遺っている。瞽女(ゴゼ)と呼ばれる盲目の女旅芸人の居た町でもあり、それを描いた齋藤真一の画も大好きであったから、そんな町に住めるのは嬉しかった。
しかし11月ともなると、どんよりした寒い日がつづき、関東のようなからりとした晴天の日はほとんど無く、やがて「雪起こしの雷」が鳴ると、ちらほら白いものが降ってくる。セーターを着なくなるのは5月の連休後だ。やはり冬は長く深く感じられた。
高田の町は海に面していないが、車で少し行けば直江津の海に出る。そして北陸線沿いの海の景色は、本当に心打つ眺めだった。夕日も何度も見に行ったし、翳っている日に水平線だけが明るんでいる景色も美しかった。暗い寂しい風景でもあったが、何処か求めていた「ふるさと」のような温かみもあって、逆に心は凪ぐのである。
北陸線を直江津から北上すると、土底浜(どそこはま)、上下浜(じょうげはま)、柿崎、青海川、鯨波など地名も駅も浜も忘れがたい箇所が並ぶ。
西側に下ると、名立(なだち)、筒石、能生(のう)など、断崖が海にそそり立つ嘗ての難所。画は、その能生の集落風景を描いたもの。なつかしい風景である。これからますますこんなしぐれの日が多くなってくることだろう。
[能生のしぐれ] 1994 12×20cm
キャンソン紙に水彩、色鉛筆
しかし11月ともなると、どんよりした寒い日がつづき、関東のようなからりとした晴天の日はほとんど無く、やがて「雪起こしの雷」が鳴ると、ちらほら白いものが降ってくる。セーターを着なくなるのは5月の連休後だ。やはり冬は長く深く感じられた。
高田の町は海に面していないが、車で少し行けば直江津の海に出る。そして北陸線沿いの海の景色は、本当に心打つ眺めだった。夕日も何度も見に行ったし、翳っている日に水平線だけが明るんでいる景色も美しかった。暗い寂しい風景でもあったが、何処か求めていた「ふるさと」のような温かみもあって、逆に心は凪ぐのである。
北陸線を直江津から北上すると、土底浜(どそこはま)、上下浜(じょうげはま)、柿崎、青海川、鯨波など地名も駅も浜も忘れがたい箇所が並ぶ。
西側に下ると、名立(なだち)、筒石、能生(のう)など、断崖が海にそそり立つ嘗ての難所。画は、その能生の集落風景を描いたもの。なつかしい風景である。これからますますこんなしぐれの日が多くなってくることだろう。
[能生のしぐれ] 1994 12×20cm
キャンソン紙に水彩、色鉛筆
≪この記事へのコメント≫
>カークさん
カークさんはお馴染みの風景でしょうね、こういう感じ。。。ほんとに「肩を寄せ合う」という表現がぴったりの集落が、日本海側にはありますね。越後のひとたちはとても温かい人が多かったですし、忘れがたい第二のふるさとになっています。
カークさんはお馴染みの風景でしょうね、こういう感じ。。。ほんとに「肩を寄せ合う」という表現がぴったりの集落が、日本海側にはありますね。越後のひとたちはとても温かい人が多かったですし、忘れがたい第二のふるさとになっています。
上越4年はもう立派な雪国育ちですよ~。
海と山の間に挟まれて肩を寄せあうように家がある。
なぜか忘れてはいけない風景に出会いました。
海と山の間に挟まれて肩を寄せあうように家がある。
なぜか忘れてはいけない風景に出会いました。
>いのうえさん
あれが「ヘタ」なんてご謙遜を!とても素敵な筆致でした。確かに手の指、足首、足の指などは難しいですね。私も嘗ては大学の美術部で毎週のようにやっていました。K大との合同展なんかもやりましたっけね~。
あれが「ヘタ」なんてご謙遜を!とても素敵な筆致でした。確かに手の指、足首、足の指などは難しいですね。私も嘗ては大学の美術部で毎週のようにやっていました。K大との合同展なんかもやりましたっけね~。
クロッキーは年一回日吉に行って描いて来るだけなのでヘタノヨコズキです。 顔の表情より手の指や足首の方が難しいですね。
>いのうえさん
コメントありがとうございます。
ええっと、住居は、横浜25年、上越4年、つくば10年、で、根津の順です。歳がばれますね。もう転居はない予定です。
いのうえさんのクロッキー拝見して、うわお上手なんだと吃驚しましたよ~。大作もおありなのでは?
コメントありがとうございます。
ええっと、住居は、横浜25年、上越4年、つくば10年、で、根津の順です。歳がばれますね。もう転居はない予定です。
いのうえさんのクロッキー拝見して、うわお上手なんだと吃驚しましたよ~。大作もおありなのでは?
あれ、江戸時代の浮世絵版画のようだなと感じて 拡大クリックすると 雨もまた日本画のように描かれていて 実にしっとりとしていますね。しかしneonさんは いろいろな場所に住まわれていらっしゃいますねえ。
>かくさん様
お生まれが鶴見!ですか、それは吃驚しました。ブログでも時々書いていますように、鶴見は国道駅近くに半年ばかり住んでいましたし、色々縁もある土地です。
小学校の頃東北にいらっしゃったということは、もうそちらの方が長いのでしょうね。仙台は3年前に行きましたが、とても好い町ですね。北陸とはまた違った感じでした。
お生まれが鶴見!ですか、それは吃驚しました。ブログでも時々書いていますように、鶴見は国道駅近くに半年ばかり住んでいましたし、色々縁もある土地です。
小学校の頃東北にいらっしゃったということは、もうそちらの方が長いのでしょうね。仙台は3年前に行きましたが、とても好い町ですね。北陸とはまた違った感じでした。
どんよりした日本海の海も、
neonさんの柔らかなタッチで温まりそして
少しばかり微笑んでいるような・・・
僕は鶴見生まれで、小学校時代に東北の田舎町に
やってきました。最初に見た田園風景がいまだに
瞼に焼き付いています。
neonさんの柔らかなタッチで温まりそして
少しばかり微笑んでいるような・・・
僕は鶴見生まれで、小学校時代に東北の田舎町に
やってきました。最初に見た田園風景がいまだに
瞼に焼き付いています。
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