
根津と千駄木のちょうど間の交差点の角に、この建物がある。
と言っても、実際はもっともっとボロボロ状態で、この画を見て探しても判らないかもしれない。
「ヤナヰ」という屋号も、よく見ないと読み取れない。建物の裏側はもっと酷く傷んでいる。
根津のあたりでは、時々古い建物をスケッチしている年配の方を見かけるが、此処を描いて居る人には会ったことはないし、不忍通りの車の喧噪と排気ガスまみれになっているこの建物は「見たままを描く」人たちのモチーフには、なかなかなり得ないだろう。
だが佇んでよく見ると、この建物自体の形はなかなかユニークで美しいのだ。汚れてボロボロでも、形自体の佳さに純粋に惹かれることが私はよくある。それで私はこの建物の在りし日の姿、を、いとおしく描いてみたい気持ちにかられたのだ。大袈裟な言い方だけれど、どんな建物を描くときでも、どこか夢見るような部分を描いてみたいといつも想いながら筆をとるのである。
[ヤナヰ商店] 2005 14×18cm 個人蔵
麻紙ボードにジェッソ、アクリルガッシュ、パステル、ミリペン
≪この記事へのコメント≫
>かくさん様
コメントをありがとうございます。
そうですね~、やはり地味でも誰かが自分の「分」に見合った建物を建て、そこでささやかな生活をしていた、という痕跡があるところは、本当に他人がどうこう言えない存在感やぬくもりが感じられて愛おしいのです。普通の何気ない日々の暮らし、というのがやはり幸福とつながっているのだと思われますしね。クレーもそう言う感じがあるんでしょうかね。
コメントをありがとうございます。
そうですね~、やはり地味でも誰かが自分の「分」に見合った建物を建て、そこでささやかな生活をしていた、という痕跡があるところは、本当に他人がどうこう言えない存在感やぬくもりが感じられて愛おしいのです。普通の何気ない日々の暮らし、というのがやはり幸福とつながっているのだと思われますしね。クレーもそう言う感じがあるんでしょうかね。
おそらくは建築デザインなど深く考えられることもなく建てられた建物、それに街の景観条例や環境保全にも無関係のように見える街並、であっても、なにかそこに温もりや存在感を示していることがあります。時にそれが廃墟であっても・・・ 何故だろう?やはり「人」の痕跡があるからなんでしょうね。
「夢見るような部分を描く」とき、きっとそこに住んでいた人との共有感のようなものも生まれているのかもしれないですね。敬愛するクレーの絵にも家や街がよく現れます。そこにも、何か懐かしさ、いとおしさが湧き出ています。neonさんの絵にはもっと洗練された感覚や情緒が感じられて好きです。
「夢見るような部分を描く」とき、きっとそこに住んでいた人との共有感のようなものも生まれているのかもしれないですね。敬愛するクレーの絵にも家や街がよく現れます。そこにも、何か懐かしさ、いとおしさが湧き出ています。neonさんの絵にはもっと洗練された感覚や情緒が感じられて好きです。
>tomoさん
お世話になってマス!コメントありがとう。
やっぱりこの建物見逃してませんでしたね。つつじ祭りのときの飾りはあまりよく見ていませんでしたが、うんうん、わかる感じ。あの飾りの安っぽい感じが、でもなんとなく郷愁をそそるんですよね。
この建物もいつまであるのかなという佇まいですが、通るたびに気になる一角です。
お世話になってマス!コメントありがとう。
やっぱりこの建物見逃してませんでしたね。つつじ祭りのときの飾りはあまりよく見ていませんでしたが、うんうん、わかる感じ。あの飾りの安っぽい感じが、でもなんとなく郷愁をそそるんですよね。
この建物もいつまであるのかなという佇まいですが、通るたびに気になる一角です。
つつじ祭りの時期には、この建物の前にプラスチックの花の飾り物がかかって、その懐かしくも派手派手しいピンクと、くすみきった黄色い壁の対比が何とも云えない物悲しさを感じさせますね。
先日、通りすがりに横にまわってみたら、時代がかったくだものの箱なんかが見えて、この店の中では時間が止まっているんだなぁと不思議な気持ちになりました。
先日、通りすがりに横にまわってみたら、時代がかったくだものの箱なんかが見えて、この店の中では時間が止まっているんだなぁと不思議な気持ちになりました。
>銀ねずみさん
いつもありがとうございます。
あまり黄色系は使わないのですが、この建物に関しては使ってみました。できた当時とは違うでしょうけれど、今現在の姿からするとこんな感じではなかったかなという、想像+創造といったところでしょうか。地味なのですが、好きな一角なのです。
いつもありがとうございます。
あまり黄色系は使わないのですが、この建物に関しては使ってみました。できた当時とは違うでしょうけれど、今現在の姿からするとこんな感じではなかったかなという、想像+創造といったところでしょうか。地味なのですが、好きな一角なのです。
朽ちかけて汚れた建物に目を向け、その造形の美しさを見い出して作品になさったとのこと。neonさんによって新しい命が吹き込まれ、絵画という形を採って再生されたのですね。「夢見るような部分」も作品全体から伝わって来る気がします。
何ともいえない微妙な色づかいがいいなあ。この建物の「在りし日」の姿もきっと、このように美しかったことでしょう。
何ともいえない微妙な色づかいがいいなあ。この建物の「在りし日」の姿もきっと、このように美しかったことでしょう。
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