
個人的な想いを作品のなかに反映するかどうか、というのは勿論作家の自由だけれど、私の場合に限って言えば、やはりそれが反映していると言えるだろう。アラーキーが「私写真」とよく言うけれど、その言葉は私にも沁みる。何でもない風景でも、私情が絡むことによってかけがえのないものになる。それは個人的なモンダイなのだけれど、その想いの深さというのは、作品を見る側にやはり伝わるのではないかという気がする。
今私の掌のなかに、小さな硝子の破片とタイルの破片がある。
かつてあった建物の形見だ。
ガラクタというか殆ど芥にも近いものだけれど、私にとっては記憶の断片が今ここにあるような想いがする。
その想いを何とかまた画面に表現してみたい。
[雨後の町] 1993 A4キャンソン紙に顔彩、色鉛筆、パステル
≪この記事へのコメント≫
>2+さん
いつも温かいお励ましを下さり、ほんとにありがとうございます。とても感謝しています。気持ちだけでなかなかうまくいかないことも多いのですが、これからもずっと描いていくつもりです。応援してやって下さいませ。今大きいものを久しぶりに描こうと下図をつくっています。(乗せられやすいタイプです。)
いつも温かいお励ましを下さり、ほんとにありがとうございます。とても感謝しています。気持ちだけでなかなかうまくいかないことも多いのですが、これからもずっと描いていくつもりです。応援してやって下さいませ。今大きいものを久しぶりに描こうと下図をつくっています。(乗せられやすいタイプです。)
昨日、NEONさんの展覧会を見てくれた8丁目の画廊のオーナーが久しぶりにいらして、絵の話などしていたのですが、NEONさんの絵の話になって「これを描きたい!どうしても描きたい!そんな気持ちが伝わってくる絵だよね」とおっしゃってました。私も嬉しくなりましたよ。
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